実存主義って何?a flood of circleのI’M FREEに意味を繋げてみる
これを読んでくれているあなたにも、虚無感に襲われるような経験ってのが、今までに何回かは、あるのではないでしょうか?
え?そもそも虚無って何?っていう方に話をしますと、例えるなら、何時間も、何日も掛けて費やした、スーファミのデータが消えた瞬間のあの感じです。
散々、熱を注いで来たものが、一瞬で無になる感覚。
つまり、喪失感に近いのかなと。
その点で言えば、失恋とかも、虚無感に含まれるのかと。
以下の記事のように、バックアップが取れる領域の話ではありませんからね。
参照記事:あなたのPCデータは必ず消える!バックアップを取るなら【HDDケース】が最適解
心に穴が空くって言うけど、それって、そこに何かがあったからこそ、穴が空くような感覚に陥るんですよね。
ゆらゆら帝国の【空洞です】みたいな。
実存主義の台頭と破壊された意味
産業革命の時代もそうなんですが、この虚無感が、地球上で最も最大化された時代ってのがあるんですよ。
1945年の第二次世界大戦が終結した、戦後の世界です。
全ての街どころか、凡ゆる意味も破壊されました。
更に、ホロコーストによるユダヤ人虐殺が明るみになった事で、人々は、人間が潜在的に持っていた残虐性を突き付けられた訳です。
唯一絶対の神、キリストも存在しないんだろうなーと、気付きつつもあった時代。(もし全知全能の神が存在するなら、あんな悲惨な結果にはならないから)
そして蔓延するニヒリズム。
そこから急速に広まった思想が、【実存主義】なんですよね。
「実存は本質に先立つ」って言ったサルトルのペーパーナイフ
「実存は本質に先立つ」って言ったのが、フランスの哲学者である、ジャン=ポール・サルトルでした。
此処での実存ってのは、現実に存在している事であり、本質ってのは目に見えない意味とか、価値だと思ってもらっていいです。
中世のスコラ哲学に於いては、実存と本質ってのは、二項対立的に対比されています。
此処で言う「実存は本質に先立つ」ってのは、つまり、意味とか価値とか、それ以前に、人間が存在しているっていう事を言っています。
つまり、本質ってのは、人間の主観的な後付けに過ぎないって事です。
サルトルは、ペーパーナイフを例に挙げていましたが、あんまり親近感が湧かないと思うので、此処ではハサミを例に挙げます。
例えば、ハサミって日常的に使いますよね。
あれは、何かを切る為に作られています。
ハサミを製造する意味もわからずに、ハサミは生み出されない。
つまり、ハサミの作り手は、【何かを切る為】っていうハサミの本質を知ってるからこそ、ハサミという名の【実存】を作る事ができる。
この場合、【実存は本質に先立つ】の文脈で言えば、【本質は実存に先立つ】っていう逆のパターンになる訳です。
何も切れないハサミがあったら、最早ただの物体です。それでも実存ですけどね。
本気で壊すことは本気で創ることとおんなじ
だとしたら、人間はどうでしょうか?人間が作られた意味なんてありますか?
そんものは存在しませんよね。
だから、「実存は本質に先立つ」って事です。
ただ、今から約200年前の時代では、人間は、神の創造物だと本気で信じられていました。
キリスト教が、価値判断の中心にあったんです。
それ故に、自分の人生には、意味も価値もあるのだと考えられていた。
ニーチェの言う「神は死んだ」ってのは、これら本質に対するカウンターだった訳です。
更に、サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」とも述べています。
誰かが決めた事に依存して生きるってのは、不自由だけど無責任でいいんですよ。
例えば、会社の役職に置き換えてみると、わかり易いかと思います。
一番下っ端なんかは、言われた事を言われたようにしていればいいと言う点で、不自由だけど楽ですよね。
それが経営者の立場になれば、常に決定権を持つ分、自由だけど大きな責任を伴う。
確かに、「特定の道徳に沿って生きてるから正しい」っていうロジックで生きてる方が、楽ですよね。
こうすれば天国に行ける。こうしたら地獄に堕ちるっていう基準に沿って、絶対的な価値、所謂、神の教えを正しいと信じる人は、正しくありたい訳です。
何故、正しくありたいかっていうと、「これをやってれば大丈夫」っていう、権威からの承認に頼らないと、不安なままだから。
自由に伴う、不安に耐えられない。
つまり、自分で自分を肯定できないからこそ、本質主義的な考えに落ち着くと。
それが所謂、奴隷道徳ってヤツです。
奴隷道徳に従ってしか生きれない者を、ニーチェは弱者だと呼びました。
参照記事:ルサンチマンって誰だよ!?
出典:ONE PIECE/67巻/107p
このブログでも、何回も登場させてしまう、トラファルガー・ローのこのシーン。すごい好きなんですよね。
哲学のフィルターを通して見ると、自分が惹かれてしまう人間性って、実存的な色を持ってるなーと、改めて思います。
自由を享受するってのは、責任が伴うので、自分自身が強くある必要があります。
これは、ONE PIECEという漫画の根底にあるロジックでもある。
自分の人生は、自分で主体的に決める。ルフィの言う「命を掛ける」ってのはそういう事です。
もう、一巻の時点でこう言ってますね。
「おれがなるって決めたんだから、その為に戦って死ぬんなら別にいい」
その意味で言えば、a flood of circleのI’M FREEって曲は、まさに実存的なんですよね。
I’M FREE 成功だと?金の話か?ギャラか?印税か?ミュージックに価値はあるか?
もともと価値なんかないもんだと 言ったボブディランを信じる
出典:I’M FREE
a flood of circle/佐々木亮介
I’M FREE 君はどう思う 君の価値は君にしか決めらんない君のジャッジメント
形ないものを爆破しにいく 壊さなきゃ始まんないから
出典:I’M FREE
a flood of circle/佐々木亮介