シュプレヒコール(RADWIMPS)の歌詞の意味を考察してみる

2020年7月8日バンドレビュー

均質化された大衆

おはようございます。mikioです。どうも。

今回は、2012年にリリースされた、RADWIMPSのシュプレヒコールっていう曲を、考察してみます。

勝手ながら、個人的に【シュプレヒコール】はRADWIMPS史上、最高傑作だと思っています。

バンドのフロントマンである、野田洋次郎(敬称略)は、換喩(メトニミー)の使い方が秀逸なんですよね。

換喩ってのは、比喩の一種です。

所謂、「全米が泣いた」みたいな事です。

その点、【白と黒とがやりあってる】っていう、抽象度上げまくりの表現は、見事だとしか言えない。

これ、最近の話に置き換えると、捉え方によっては、白人と黒人の差別の歴史っていう切り取り方も可能ですよね。

2020年5月末に、アメリカで起こったデモ運動と、どこかリンクする部分があります。

6月頭くらいに、Twitterのタイムラインで、この動画が流れてきました。

「何百年以上、何世代にも渡ってこのプロテストは続いている」とカーティス・ヘイズ・ジュニア(31歳)さんが語るように、何も変わらない差別の歴史がある。

これ見てたら、電車の中で涙が止まらなくなってしまいました。

それ以来、アメリカの歴史を調べる事に。

その辺の話は、以下に音声として録ってみたので、併せてどうぞ。

実は、今回の記事は、このアメリカでの黒人差別へのデモが、キッカケだったりします。

アイヒマンか、スターリンか、どっちか定かではないんですが「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」って話をしている人がいました。

これは的を得ています。

差別問題が、スマホとSNSという媒体に乗って、パーソナルなところまで降りてきた映像があったからこそ、僕の感情は動きました。

例えば、「今日1日の、コロナウィルスの感染者は数百人です」

とか言われるより、その中の1人の物語に焦点を当てる方が、人の心は動くって事です。

さて、本題に入ります。

シュプレヒコールの「述語と主語がやりあってる」ってどういう意味?

今日も世界のあちらこちらで

述語と主語がやり合ってんだ

文脈さえ通り越しちゃえば

きっと平和の世界征服さ

出典:シュプレヒコール

/野田洋次郎

これはどういうことか?

長いこと考えていました。

述語と主語がやり合ってるっていうのは、それこそ【文脈の話】をしているって事だと思うんですよ。

ここで言う文脈ってのは、「今日も世界のあちらこちらで」って言ってるように、地球上の人間、延いては生物の営み、そのものを指しています。

例えば、なんでもいいんですけど

  • 荷物を持ち上げる
  • 扉を開ける
  • カレーを味わう
  • 天を仰ぐ
  • 貴重品を預ける(預かる)
  • 水を与える
  • 心を操る
  • 車を洗う
  • 虫が集まる
  • 本を売る(買う)

みたいなことです。

僕のイメージだと、誰が(主語)、どうした(述語)とか、何が(主語)、どうなった(述語)っていう、人間が捉えることのできる行動様式とか、様々な現象が浮かび上がってきます。

地球上の歴史ってのは、これまで途絶えることなく、連続して繋がっています。

この短いフレーズで、その【連続】の部分を、状況説明してるんだと思うんですよ。

ただ、その後に、「白と黒とがやり合ってる」っていうフレーズが出てくるので、何回かシュプレヒコールの曲を聴いてると、述語と、主語が、衝突しているっていうイメージが強まってしまうかもしれません。

ここでの「やり合ってる」っていうのは、人間の営みに対する情景描写であって、「ぶつかり合ってる」っていう、二項対立の話ではないんだと思ってます。

「やりとりをしている」とか「行き交ってる」っていう、交錯したイメージを述語と主語っていう部品を使って、描いている。

つまり、世界中で「言葉が飛び交ってる」っていう、ニュアンスの描写なんだと思うんですよね。

で、文脈さえも通り越しちゃえばってのは、国境の壁を越えるってことなのか。

文化の違いを超えるってことなのか。

これまでの歴史の連続性が形作った、文脈を越えるってことなのか。

いずれにしろ、【平和の世界征服】っていうフレーズから見ると、人種とか、文化とか、自分達を隔てている【違い】さえも飛び越える事ができたなら。

ってことなんだろうな。

野田洋次郎というソングライターは抽象度(目線)のチューニングが上手い

そんな感じで、めちゃめちゃスケールのでかい話だし、目線は超メタなところにあります。

野田洋次郎というソングライターは、マクロな視点が得意なんだなーと思います。

神と仏のダイアローグを、まるで童話のようにコミカルに描いていたり。

輪廻転生的な宗教観を使って、「前前前世から、来来来世にやってきました。うへへ。」っていう、大袈裟なまでの世界観にまで発展させてしまったり。

時空をも超えてしまうくらいのスケール感なんだけど、実態は、月並みな恋愛の話だったりする訳で。

冷静に見たら、「いや、そんなわけないじゃん」っていう、ナンセンスな批判をして終わってしまう話でもあるんだけれども。

だって、彼氏・彼女からいきなり「前前前世から逢いに来たよ」とか言われたら、普通にヤバい奴じゃないですか。

それが、【君の名は】というアニメーション映画と、そこに寄り添うように作られた【RADWIMPS】の楽曲っていう、2つの文脈に乗っかる事によって、得体の知れない感動に繋がっていくんだと思うんですよ。

(実は、未だに【君の名は】という映画は見れてないのです。言ってることズレてたらごめん)

音で表現されている【大衆】としてのノイズ

ぐっちゃぐちゃの、ノイズの気持ち良さってのがあると思っています。

それは、心境によっては「聴いてるのがツラい」っていう音色だったりします。

うるさいのに、心地いいってのが、ノイズの不思議なところです。

例えば、銀杏Boyzっていうバンドのノイズは、まさにそれに該当しますね。

何故に、こんなビリビリとやかましい音なのに、爽やかなんだろうか。

或いは、9mm Parabellum BulletDiscommunication(ディスコミュニケーション)とか。(2:50以降)

文字通り、ギターを掻き鳴らしている部分です。

THE NOVEMBERSのバースデイとかも、このイメージ。

で、シュプレヒコールも、サビ前で、ギターがぐちゃぐちゃにやるんだけど、これが心地いい。

今は地デジになって見られなくなったけど、アナログ放送で見れた、テレビの砂嵐(ホワイトノイズ)のようなノイズ感。

雪崩のように暴力的で、カタルシスのように心地よく、崩壊した街のようにカオス。

因みに、子宮の音もホワイトノイズだけど、実際は、低音の雷鳴みたいな音らしい。

従って、ホワイトノイズってのは、人間にとっては馴染み深い音なのかもしれない。

全然、憶えてないけど。

さて、シュプレヒコールに於いては、このノイズが、【大衆】が作り出す【うねり】として表現されているように感じます。

これが音楽の面白いところ。

曲(ポップミュージック)の世界観ってのは、音に依存します。

そして、音が言葉のバーチャルリアリティ(世界観)の輪郭を補完してくれるのです。

歌詞ってのは、言葉だけでは成立しません。

言葉と音が重なってこその、歌詞です。

言葉の世界と、音楽の世界が、オーバーラップするから、臨場感と共に情景が映像化される。

例えば、BUMP OF CHICKENのメーデーのリフって、めっちゃ潜ってません?

アルペジオでも、オクターブでもない方の、全音符的な長い音符(俗に言う白玉)の、和音で「ジャーン」って、やってるやつ。

あのコードの音色って、メーデーの文脈の中で鳴らされると、泳いでる感がすごいんですよね。

光が届かない海の色のような、黒に近いネイビーっぽい情景が浮かびます。

アルペジオが、水中の泡というか、宇宙の星というか、そういう映像になる。

僕の頭の中に浮かぶイメージを言語化しようとすると、こんな感じになります。

隠しトラックに「星のアルペジオ」っていう曲があるけど、藤原基央(敬称略)のアルペジオって、ホントに【星】っぽいんですよね。

宇宙感がすごい。

冷たい声の合唱に 希望の度を越えた歓声に

もみくしゃになったまま 走らせた今日を

右向け右の号令に 正気を失った万歳に

しわくちゃになったまま 明日を迎えにいくよ

出典:シュプレヒコール

RADWIMPS/野田洋次郎

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mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
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