アンパンチ論争から人間の暴力性について紐解いてみる
最近、【アンパンチは子供に暴力を助長させる】みたいな論争が、SNSで盛り上がっているようです。
ワイドナショーでも話題に挙がっていましたね。
アンパンマンのアンパンチでバイバイキーンっていう、お約束のソリューションの事ですね。
アンパンマンという子供向けのアニメーションを通して、このやり取りを見た子供が、問題を暴力で解決するようになるのでは?っていう懸念が、論争の発端のようです。
平和な国ならではの見解ですよね。
誰が言い出したのか知らないけど、流石にそれはちょっと潔癖すぎるなと感じました。
教育方針なんて、親の数だけあるし、勝手にやればいいとは思います。
でもそうやって、人間がデフォルトで備わっているシステムを切り離そうとしたら、どんな弊害が及ぶか。
苦しむのは、そのアンチ・アンパンチに焦点を当てる、その人自身なんじゃないでしょうか。
僕も漫画を描いていた頃、【暴力】については、嫌というほど考えて来ました。
有りと有らゆる悪を嫌うと何故か自分の事も嫌いになった日
切り離したい自分の部品を、嫌悪するくらい潔癖な人に関しては、この曲を聴いてほしい。
有りと有らゆる 悪を嫌うと
何故か自分の事も 嫌いになった日
出典:命の更新
tacica/猪狩翔一
tacicaの【命の更新】という曲で、最も共鳴したフレーズがコレです。
初めて聴いた時、「この気持ち、知ってるぞ」と。
学生時代の生々しい感情が蘇って来たんですよ。
これ、なんなのかって言うと、自分が悪だと定義するものも全部、自分の一部である可能性があるって事です。
良いとか悪いとか、人間が定義した主観があろうが、此処まで人間がどのようにして生きて来たか、歴史を見れば明らかですよね。
もう、そういう生き物だって事です。
悪を嫌うって事は、自分を嫌うって事になり得る。
要するに、人間と暴力は切り離せないんですよ。
人が悪人だと定義する人が居るとして、その人自身は、自分を悪だと思って行動を起こすんですか?
お互いが、「正しいのは自分」だと考えるから、仕方なく衝突するじゃないんですか?
権力者の圧力に抗えば、第三者の目から見れば、悪に見えるかもしれない。
でも、当人の主観からすれば、よりよい未来、自由を追求してるだけ。
出典:ONE PIECE/51巻/
誰もが自分の正義に従って、他人に肩をぶつけるんですよ。
自分が人間を辞めない限り、潔癖な存在になんてなれないって事です。
無実と張り上げた声でも
実はどっかに心当たりも
出典:シュプレヒコール
RADWIMPS/野田洋次郎
【男】という性別に抱く学生時代の嫌悪感
僕自身も10代の頃は、男のSEX観に対する憧れ方とか、その裏にある暴力性に嫌悪感を抱いていた時期がありました。
人間の欲なんて消えてしまえばいいのに。
そしたらそれを求めて、傷付く人も居なくなるのに。
なんて、それはそれで危ない考えだったなと今は思うのだけど。
煩悩コノヤローとか思いながら、腹は減るし、眠いし、おっぱいは頭の中で揺れるしで、自己矛盾に苛まれながら、自嘲気味に苦しんでいた時期がありました。
その後暫くして、欲求が無いなんて、そんなの人間じゃないのでは。と、途中で気付いたんですよね。
そんなの生きてるって言えるのか?と。
まぁそんな結論に至り、一旦、自分の欲求とは折り合いが付いた訳です。
「頭の中のおっぱいは、揺れていてもいいんだ」と、受け入れました。
アンパンマンの哲学は自分の顔を差し出す点にある
そんな心理的な変遷を経ているので、自分の性別と、暴力との距離の取り方に関して、一旦は安定したって感じです。
で、アンパンチの件なんですが、まぁ心配なのはわかるけど、短絡が過ぎます。
作品と子供の問題は分離すべき問題だし、作者のやなせたかし(敬称略)のバックグラウンドを知っていたら、そんな事言えないと思います。
アンパンマンで着目すべきところは、そこじゃなくて、自分の顔を引き千切って、空腹の他者に差し出す点にある。
そこにアンパンマンの哲学がある訳で。
所詮、絵本ですよ。
所詮、アニメーションです。
所詮、人間なんです。
自分のやる事全てに、責任を持とうとする人なら、いちいち原因を自分以外の何かに設定しないでしょう。
自業自得なんだから。因果応報なんだから。身から出た錆なんだから。
その点から言えば、【アンパンチ=暴力=子供が暴力的になる】っていう論理を用いる人ってのは、作品から何かを読み解くって事を最初から放棄しているか、想像力が皆無なのか、どちらかだと言えます。
あまりに偏った潔癖思想の行き着く先は、ヒトラーのホロコーストみたいな事になる可能性があるって事は、歴史が教えてくれている。
男は優しくても強さが無ければ無力
優しい子供に育てたいってのは結構だけど、大人になった時に闘えないって状態になる方が、子供にとっては辛いんじゃないかなと考えています。
どんなに優しくても、そこに強さが無ければ無力だからです。
肩をぶつけてくる人に遭遇する事は、無人島で一人で暮らすっていう人以外は、不可避です。
そもそも人間は、どうやって自分の生命を保持しているのかって言うと、生きている他者(生物)を殺して、それを体内に取り込んでいるっていう事実がある。
そうやって生きて来たから、人間という種族は、今も地球に存在している。
なんかもっと、マクロに人間を見てみないと、近視眼的な見解になってしまいます。
自分の家族が、何者かに傷付けられそうになっているのに、父親が瞬殺されたら、誰が家族を護るんですか?
例えば、雌性先熟と言われる魚が居ます。
群れの全員がメスなんですが、メスだけでは外敵にやられてしまうっていう理由で、メスの中の一匹だけがオスに性転換して群れを守ります。
そのオスが戦って死んだら、今度は再びメスの中の一匹がオスに性転換して、群れを守る。
これの繰り返し。
この構造を見ると、男の役割は本来、身内を守る為に戦って死ぬって事にあると、考える事ができます。
ONE PIECEで、ドクトリーヌがチョッパーに言った言葉は、至言です。
出典:ONE PIECE/16巻/
いいかい
優しいだけじゃ人は救えないんだ!!!
人の命を救いたきゃそれなりの知識と医術を身につけな!!!
腕がなけりゃ
誰一人救えないんだよ!!!
出典:ONE PIECE/16巻/尾田栄一郎
実力が無いと、不本意なことにも黙って従う事しかできない。