「当たり前だ!」って叫んだ【ルフィ】のように
そんな風に思う大人、羨望の存在って、誰にでも一人くらいは居るのではないでしょうか?
「あの人凄い」って思える事。それって、貴重な体験ですよね。
僕は、他人にそんな感情を抱く時、元気が出ます。
自分では到底、届かないような圧倒的な実力。その迫力や美しさ。内在する熱量。
わくわくしますね。
自分なんてまだまだじゃないかって、そんな当たり前の事に気付けます。
人には所謂、ロールモデルとなる他人が必要です。
何故なら、人は、人との出会い無くしては生きられません。
必ず環境の影響を受けます。
この世に生を受けた時点で、【純粋に1人】という状態は、あり得ません。
誰もが、人との出会いによって、良くも悪くも影響を受け合っているのです。
- この人に出会えたから、こんな自分になれた。
- こんな人に出会ってしまったから、こんな自分になってしまった。
そんな事実が、人の未来を少しずつ変えてゆく。
ONE PIECEのルフィがシャンクスに憧れたように、子供がヒーローに抱くような感情は、やがて体を突き動かす動機となります。
じゃあその凄い大人って、どんな人?
どうして、そうなりたいと思ったのでしょう?
この記事では、大人と子供との間にある、目線について考えてみます。
カッコいいおっさんとその他のおっさんの違い
【カッコイイ】って、なんなんですかね。
- 背が高くて、シュッとしてる人?
- 筋肉質で力が強い人?
- 或いは、金持ちで、なんでも買える人?
- それとも、優しくて気の利く人?
人は、どんな人を【格好良い】と感じるのでしょうか。
僕は、ものの道理、本質を知ってる人なんじゃないかと思うんですよね。
此処での本質って何かって言うと、生き物が種の保存を優先して、戦うような行為の事です。
卑近な例で言えば、夫婦間の仲が冷え切って悪くなった家庭があったとして、何故離婚しないのか?と問えば、2人にとっての本質は、子供だからですよね。
2人共に子供の未来を案じているからこそ、自分の感情を優先させないのです。
生物のオスが、必死にメスの気を引こうと、踊ってみたり、綺麗に鳴こうとしたり、目立つ装飾を競ったりするのは、種の保存の為です。
それが生き物の本質だからです。
この記事を記していて気付いたんですけど、自分の好きな映画を思い返すと
- グラントリノ
- シンデレラマン
- リアルスティール
- インターステラー
と並びます。
上記の映画に共通する点は、大人と子供の【あるべき姿】が描かれている所です。
おっさんと子供(親子)の関係性の描写です。
これらの映画に登場してくる、おっさんも、子供も、どっちも好きなんですよね。
なんでですかね。
大人から見た子供と、子供から見た大人。
この双方向の目線がグッとくる。
当時は、【こんな大人が自分の側に居て欲しかった】っていう子供側の理想。
今の目線だと、【こんなおっさんでありたい】っていう大人側の理想。
つまり、上記の映画で闘う、おっさんと子供側の目線がクロスオーバーして来て、感情が「ぶわー!!!」な訳です。
僕は基本的に、好きな人の目線が好きです。
そりゃそうですよね。
僕の場合は、好きな人の目線は、歪んだ背筋を伸ばしてくれるから、好きなんです。
つまり、【そうありたい】っていう、理想の姿を指し示してくれる。
憧れや尊敬。そこに自分も近付こうとする熱が、好循環を作り出す。
忘れてしまった事を、思い出すような。
知らなかった事を、教えてくれるような。
大人が、子供の未来を優先させるような事。
もっと抽象化すると、大人が子供の事を気にかける事。
そんな素敵な温度が、好きな大人の目線には宿っています。
大人と子供の【あるべき姿】とは?
今の自分が、当時(過去)の自分と圧倒的に違うと言えるものが、【親である】っていうチャンネルが入った事です。
だから、おっさん側の目線に、自分が重ねるつもりが無くても、無条件に重なってしまうんですよ。
例えば、【リメンバー・ミー】っていうディズニー映画があります。
参照記事:【リメンバー・ミー】時間と云う物差しが裏打ちするもの
映画タイトルであり、曲のタイトルでもあるのが、このリメンバー・ミーなのですが。
その言葉の、本来の意味が描かれるシーンが劇中の後半にあります。
父親が娘に、1対1で唄を歌う、弾き語りの描写です。
僕はもう、あのシーンを刮目しただけで、映画館で膝の上に座る娘の頭皮に、涙を落としまくってしまう訳です。
なんでかって、お父さんが子供を大切に想うのって当たり前の事じゃないですか。
「当たり前だ!」って叫んだルフィのように
出典:ONE PIECE/9巻/201p
このページ、ONE PIECEっていう少年漫画が、僕にとってブランド化した瞬間でした。
物語の文脈としては、アーロンと云う海賊による圧倒的な蹂躙に、理不尽な従属を強いられる羽目になった村があってですね。
それが、麦わら海賊団の航海士である、ナミの故郷、ココヤシ村です。
金(1億)を用意すれば村を返す。というアーロンとの約束を信じ、自らが大嫌いな海賊になり、一人で全てを抱え込んだ末に、その約束に翻弄されてしまいます。
そして、貯めてきたお金を裏で奪われ、為す術を失ってしまうのです。
絶望の淵で、「お前らには関係ない!」と突っぱねて来た麦わら海賊団船長、ルフィへ、ナミは思わず本心を吐露してしまう。
最後の最後に、「助けて…」とルフィに言葉を零すのです。
上記はそんなシーンです。
以下でも述べましたが、ルフィは自分が取るべき態度、船長としての役割を本能的に理解している。
参照記事:シンプルとは何か?デザインとの相関を考察【頑丈編】/シンプル×心×頑丈×美学
ルフィ自体は、女としてと云う認識ではなく、仲間として、彼女を護ろうとした結果なんだろうけど、この【ヒーローがヒロインを助ける】っていう描写の強さは普遍的なんだなと、改めて確信した次第です。
仲間は、麦わら海賊団に迷惑を掛けないように、自殺覚悟で自分の問題を切り離し、一味から離れようとします。
ナミも、ロビンも、サンジも、そうでした。
でも、ルフィはそれを許さない。
ルフィはいつだって、仲間の本心を持ってる。
そして必ず、その言葉に応える。
そこにドラマがある。
此処でもそうなんですけど、仲間が仲間を護る(男が女を護る)のは当たり前なんですよ。
当たり前の事を、当たり前に実行する。
これは簡単なようで、簡単な事でもない。
何故なら、強靭な根拠が要りますからね。
根拠って何かと言うと、それはつまり、実力ですね。
自分が帰属する関係の中で、自分のその役割を知ってる人。
自分が取るべき態度を理解してる人。
そしてそれを、行動に落とし込む事の出来る実力者。
態度だけでは勝てない。想いだけでは何も護れない。
つまり、言動に説得力が伴う大人。
これが格好良い大人の条件と言えます。
オリビアが見詰めていた未来
出典:ONE PIECE/9巻/201p
未だにこのページをめくると、みぞおち辺りがゾワゾワします。
老害撒き散らす政治家には、絶対に吐けない言葉ですよ。
「私達が生きる余生を、私達が諦める訳にはいかない」って、背中で語ってる人達ばっかりですから。
でも、それが普通だよな。とも思うのです。
人がエゴを優先するのは当然ですよ。
彼女のような人が異端なんです。
だからこそ、その異端さが格好良いんですよ、オルビア。
娘のロビンを独りぼっちにさせた事には、一切共感出来ないけど、こんな眼差しの大人になれたら素敵ですね。
なんでロビンを置いていかなければならない状況になったのか、その背景は描かれていないので、謎ですが、どんな理由があろうと、物心もつかない幼児の大事な時期に、親として、ロビンの側に居れなかったのは、最低な事です。
子供を置き去りにしなければできない事をやるんだったら、そもそもロビンを産んでくれるなよって思います。
結果的には、ロビンの将来を、世界規模で護ろうとしていたっていう1つの側面があります。
ロビンの未来を案じていた理由、即ち信念がオリビアにはあった訳ですね。
つまり、ロビンが生きる世界を大局的に捉えていたって事になります。
確かに何処にも行かず、ずっと側に居る事も出来た。
でもその事によって、ロビンが生きていく未来が無かったら、それこそ不本意だとオリビアは判断したのでしょう。
当たり前って本質だよ
此処で言う、当たり前ってのは、常識とは違います。
常識と云う名の偏見や、先入観を振り翳してる人は結局、自分にとって都合の良い思い込みを、他人に押し付けているに過ぎない。
武田邦彦(敬称略)は、【日本人の9割が思い違いをしている問題にあえて白黒つけてみた】と云う本で、常識について、以下のように述べている。
「常識は事実に基づいていて正しいことだ」と思っている。そんなことはない。
「常識ほど非常識である」というのも真実だ。
かつて、地球は平らだと思っていた。万有引力が発見されていないのだから、地球が丸いと下になった人が宇宙に落下してしまう。
でも、今では誰もそんなことを考える人はいない。
「常識」とは「事実」ではなく、その社会で都合の良いようにあることを常識としているだけだ。
生活をするうえで、ある程度のコンセンサスが必要だから常識は欠かせないが、都合が悪くなれば常識は変わるし、大勢の人の利益に反するようになっても変わる。
だから「常識に従う」ということは多くの場合、「自分の人生を失うか、お金を失う」ことになる。
出典:日本人の9割が思い違いをしている問題にあえて白黒つけてみた/武田邦彦
生物が進化する上で、組み込まれてきたDNAに則った本質的な行為。
それを人は、【愛】だと言ってみたりします。
お母さんは、それが如実です。
護るべき存在が誰かを知っている。
帰属する集団の中で、自分が取るべき行動。その本質を知っている。
そう、格好良い大人は、大局的に未来を見据えているのです。