自分の言う事は全部100%間違っている

2019年12月20日考察してみた

間違った道科学の発展に伴い、色んな事が明らかになっています。

その科学でさえ、未だによく解ってない事ってのが、沢山あるんですよね。

なんにも解んないんですよ。

それなのに、どうして自分の言ってる事が正しいと思えるんでしょうか?

根拠の無い自信なんて、もうとっくに、道端で車に撥ねられて、一瞬でぐしゃぐしゃになって、丸め込まれて、その辺に捨てられて、蹴飛ばされて、横たわってます。

現時点で、人類の誰にも気付かれていないような発見(解明)に手を伸ばす、博識な科学者でさえも、

いや、これはどうやら違うぞ

なんて、思考を揺さぶりながら、自分の研究を否定しながら、有力な仮説に書き換えて進んで行きます。(こういうのを可繆かびゅう主義と呼ぶ)

なら尚更、こんな一般ピーポーの僕が言う事なんて、100%間違ってるに決まってるんですよ。

それを前提に、こんな場所で何かを物申してる訳です。

誰も正しくはないし誰も間違ってはいない

心がどうしようもないとき あなたの心が壊れてしまいそうなとき

音楽は流れているかい? そのとき音楽は流れているかい?

ひとりぼっちにはなれやしない だからといって強くも優しくもなれそうもない

だれも正しくはない だれも間違っていない

出典:満員電車は走る

曽我部恵一BAND/曽我部恵一

誰も正しくなんかないんです。でも、間違ってもいないんですよ。

曽我部さんが言ってるこのフレーズってのが、【満員電車は走る】を聴いた日から、ずっと心に残っています。

Left Caption

mikio

どうせ間違ってるのなら、言葉にする事自体不毛じゃないか

極端な解釈をしがちだった、学生の頃の自分は、そんな感覚を抱いていました。

でもそれは違いますね。

良いとか悪いとか、正しいだとか間違いだとか。

それ以前に、差し出さなければ、インタラクションは始まらないし。

インタラクションが始まらないと、自分と、それ以外の関係性との距離を測れないですよね。

アクション(原因)によって、跳ね返ってきたリアクション(結果)を手にしないと、人は成長出来ないんですよ。

つまり、間違ってるって事にも気付けないって事です。

だから、間違っててもいいんです。

もし間違ってるのであれば、適宜修正して、更新していけばいいだけの話ですからね。

リライト、リブート、オーバーライドを繰り返して、その精度を高めるだけ。

人を成長させるのは、フィードバックです。

何かを知る事は、自分を知る事は、【そうかもしれない】と思った事を集める事なのです。

こじつけかもしれないけれど、可能性を秘めている、【そうかもしれない】っていう部品。

コレを育んで、捨てないで、忘れないで、持ち続ける事が、いつか自分を知る為の手掛かりになってくれます。

以上の態度が、言及した事の100%が間違っている僕と、あなたが取るべき正しい姿なのでは?

間違ってる事を修正出来るメタ認知

メタ認知】とは

《metaは、より高次の、の意》認知心理学の用語。

自分の行動・考え方・性格などを別の立場から見て認識する活動をいう。

デジタル大辞泉

その昔、数学的に証明された事に関しては、もう議論の余地は無く、絶対的な正しさこそが数学的証明であり、真理である。とされていました。

しかしながら、1930年頃に、ゲーデルという数学者の不完全性定理によって「数学理論は不完全であり決して完全ではなりえない事」を数学的に証明してしまいました。

つまり、絶対的な論理なんてものは、無いって事です。

そこを前提に、自覚的に論理を扱いたいのです。

此処でのポイントは、自分の固定された思考を、俯瞰で監視する余白を持っておくって事です。

頭が柔らかい人ってのは、そんな余白を持った人だと思います。

換言すると、余裕を持った人の事です。

ソクラテスの【無知の知】みたいなものです。

どこまでも冷静に、一歩引いて眺める事に対して、自覚的である。という状態です。

ロストマンに学ぶ【正しさへの祈り】

間違った旅路の果てに 正しさを祈りながら

出典:ロストマン

BUMP OF CHICKEN/藤原基央

ライフステージの節目節目で、吸い込まれるように聴いてしまうのがこの曲、ロストマン。

自分の選んだ未来が、果たして本当に正しかったのか?これで良かったのか?

解らないけど、出来る事は自分が選んだ事を受け入れる事だけ。

答え合わせの出来ない自分なりの答えを、自分自身で選び取って、大切に信じるしかない。

仮にそれが、一般的には間違っていたとしても、です。

逆に言えば、大切に出来るくらい、手を尽くす事が出来なければ、それが自分にとって正しかろうが、その答えは容易く潰されてしまうでしょう。

それは、【時間】や【他人】であり。

そこに生じる【感情】、或いは【正しいもの】や【綺麗なもの】等々に、それはもう簡単に潰されます。

正解面した主観が肩をぶつけてくる世界

自分の答えを導き出す為に、必要な知識を掻き集めて、手掛かりを増やしてゆく事。

暫定で、最善の方法に、更新し続ける態度を取る事。

そうやって、今は解らなくても【問いへの緊張を緩めない】姿勢が、答えに辿り着く為の唯一の方法なのではないでしょうか。

繰り返しますが、自分の言う事は100%間違っています。

但し、自分がそれを信じるのか、信じないのかは、また別の話。

様々な主観が、正解面して肩をぶつけてくる世界です。

しかしながら存在している時点で、軋轢の無い生き方なんて出来る訳が無い。

結局のところ、自分の美学を信じるしか、目の前を突破する方法が無いんですよ。

アート寄りの発想になりますが、自分が美しいと感じるもの以外、全部ゴミでしかない筈なんです。

主観の話ではね。

自分にとっての正しさを肯定する為には、それ以外の全てを否定する事になります。

何故なら、何かを選ぶって事は、それ以外を選ばないって事だからです。

何かを大切にするって事は、それ以外を大切にしないって事です。

そんな風に、間違ってるかも知れない自分の答えを、祈るように信じる事が出来なければ、突破出来ない局面もあるのではないでしょうか。

それが自分の軸を堅持すると云う事だし、自分の生き方を引き受けて責任を持つ。と云う事に直結するのです。

【頑固に堅持】しながら【素直に柔軟】にって矛盾と行く

【自分の言う事は100%間違っている】

それを前提に、自分を信じる

これを一つ、前提として念頭に置く事が、余裕のある大人の男に近付く為には、必要な要素の一つであると仮定しています。

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mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
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