映画【リメンバー・ミー】を見るならU-NEXT!【時間】と云う物差しが裏打ちする物語!

2019年6月7日映画レビュー

リメンバーミー

出典:『リメンバー・ミー』リー・アンクリッチ監督が絶賛する日本版ポスター解禁!

出典:©Disney

数ヶ月前の話になりますが、3月か4月あたりに娘とリメンバー・ミーを見に行きました。

目当ては同時上映の、アナと雪の女王だったんですよ。

従って、リメンバー・ミーの認識に関しては、寧ろおまけ感覚であり、特別期待していた訳ではありませんでした。

しかしこれが、結論から言うと凄く良かった。プリキュアと、どっちにしようか迷ったんですが、プリキュアじゃなくて良かった。

この二者択一を、リメンバー・ミーへと導いた動機は以下の通りです。

  • 娘がどっちも見たそうだった
  • 巨大なスクリーンでエルサとアナを見せてあげたかった
  • 映画館に着いた時間にリメンバー・ミーが開演していた
  • 娘が眠くなるタイミングや、「おなかすいた」と言い出すタイミングから逆算すると、開演時間は早ければ早い程良い(プリキュアの開演時間は少し待つ)

以上の理由で、すかさずリメンバー・ミーの劇場内に滑り込んだ訳です。

娘の身長からだと、直に劇場の椅子に座ると、視界が前方の座席の背もたれに塞がれてしまい、スクリーンが全然見えていません。

故に膝の上に乗せての鑑賞でした。改めて3歳児って小さいなと実感。

その後、鑑賞後に感じたもやもやとした既視感を、あれこれ言語化しようと探っている間に、もう今月にはDVD・Blu-rayでリリースされる。と云う情報を最近街で目にしたんですよ。

僕には青天の霹靂でした。3月に劇場公開で、7月にはDVD・Blu-rayリリースって、展開早くないですか?

じゃあそれまでにはと。なんとか記事に纏めた次第です。

因みに、リメンバー・ミーが見れる、オススメの動画配信サービスは、以下のU-NEXTです。



理由としては、鑑賞出来る作品のラインナップが、圧倒的に多いからです。

31日間は無料で試せるので、覗いてみるだけでも発見がある筈です。

映画【リメンバー・ミー】を鑑賞して感じた3つの感想

  • 死者のデザインがマイルド
  • 主人公の少年、ミゲルの挙動がすごく少年
  • 弾き語りの描写がちゃんと弾き語っている

死者のデザインがマイルド

この話のメインステージは死者の世界であり、死んだ人達みんな、骨の状態で登場します。

骸骨って、見せ方によってはめちゃめちゃ怖いものにも出来てしまう素材ですよね。

しかしそこはピクサー。ちゃんとコミカルな体裁に消化されています。

ストーリーの構成からして、怖さはメインじゃないですからね。

以下は共同監督である、エイドリアン・モリーナ(敬称略)のインタビューです。

Q.ガイコツたちはかわいらしいデザインですが、ガイコツをかわいらしくユーモラスに描いた理由を教えてください。

作品の中で死者というものを友人や家族として扱いたかったのです。『死者の日』の祭りは、自分の祖先と会う、つまり家族なので、それぞれのキャラクターがわかるようにマークをつけていたり、生前を思わせる服装をしたりしています。骸骨は怖くて誰かわからなくなりそうだったので、楽しく、親しみが持てて、一緒にいたくなるようなキャラクターにしました

出典:もしも先祖に会えたら…エイドリアン・モリーナ監督「リメンバー・ミー」の着想明かす

子供×骸骨で連想されたんですが、なんだか小学生の頃、マーズアタックと云う、火星人が地球を侵略しに来る映画を見た時の衝撃を思い出しました。

後から知ったんですけど、これってナイトメアー・ビフォア・クリスマスティム・バートン監督作品だったんですよね。

当時の自分(小学生時代)には、火星人の奇妙なデザインが印象的過ぎて、自分の漫画の敵役としてよく登場させていました。

昔描いた漫画

昔描いた漫画2

これ今見ると結構グロいです。

そういえば、怖いものって何故か、今も記憶に残ってますね。

幼少期に読んだ、オオカミの絵本が怖かったのを未だに覚えているけど、タイトルが解らないから調べられないんですよね。今の自分が見たらどんな気分になるのだろう。気になります。

更に子供×怖いで思い出したんですが、娘が2歳の頃、未知の概念に触れる際に1番気になるのが、それが「怖いか」「怖くないか」と云う相対的な感情の行方だったんですよね。

例えば、「みなとみらい行くよー」の返答は、「みなとみらい?怖くない?」でした。

「怖くないよー」と話すと、「しょーなのー?」と返ってくる。

そんな一連の遣り取りが、よくあったんですよね。

怖いものなのか、怖くないものなのか。

これが一旦、どちらかにカテゴライズされる事で、落ち着く。と云う気質の持ち主だったようです。

絵本を読んでいる際も、それが気になってしまう為、「怖くない?」と聞かずにはいられない。

娘にとっては、かなり重要な物差しの1つとなっていました。

3歳になると、そういった発言はなくなりましたが。

それを鑑みると、リメンバー・ミーを見ている時に、怖がったりするような様子は無かったですね。

主人公の少年、ミゲルの挙動がすごく少年

肩をすくめる感じや、自信の無さそうな上目遣い、常に困り眉毛、そして猫背。

12歳の子供特有の心理状態が、表情と挙動で表現されていて、直ぐに人間臭いミゲルが好きになってしまいました。

ギター少年な所や、肌が褐色なところにもシンパシーを感じたのかも知れないです。

音楽禁止とされている家族のルールに反しても、ギターをこっそり弾く程の熱意とか、誰にも止められない衝動を抱えているところとか、抗っている感じが好きです。

弾き語りの描写がちゃんと弾き語り

たまに、ギターを弾いてる人物のイラストやアニメを見掛ける時、そのコード何?と云う押弦描写の時があります。

ギターを弾く側の観点から見ると、それだけで興醒めだったり、チープに見えてしまうんですよね。

押弦描写がお座なりだと、ギターがただの装飾として扱われているようにしか見えないんです。

その点この映画は、ギターのフレットを押さえる指と、弾いている音がちゃんとギターしていて気持ちよかった。

ミゲルのギターへの熱量、延いては「音楽が好きなんだ」と云う想いが伝わります。

【リメンバー・ミー】の挿入歌について

さて、この物語を構成する上で、キーとなるなんですが、これがちゃんと良い歌なんですよ。

物語と歌がちゃんと相乗していると云うか、歌が物語に負けていないんです。

例えば邦画のBECKみたいに、雰囲気作戦で主人公が歌わない手法で逃げる訳でも無く、単純に楽曲が好きになれないとか、映画に嵌っていない訳でも無く。

音楽を題材にする映画って、挿入歌の好感度がそのまま映画の好感度に直結すると思うんですよね。

僕はソラニンとかフィッシュストーリーとか、嵌ってたなーと思います。

並べてみて気付いたんですが、どっちも高良健吾(敬称略)でしたね。この頃の高良健吾は格好良かった。歌も上手いし。

映画のタイトルであり、曲の題名であるリメンバー・ミーですが、この曲の真髄は、弾き語りにあると思います。

エンドロールでも、シシド・カフカ&東京スカパラダイスによって手掛けられたアレンジで流れるんですが、スカっぽいリズムになっていて、ポップな仕上がりになっています。

しかし、個人的には「なんか違う」と云う感覚を抱かずには居られなかった。

この曲には、アコギと肉声以外は入れて欲しくないんですよね。ラッパとか、要らないんですよ。

リメンバー・ミーは、例えば、下手くそな歌でもギターを抱きながら訥々と歌う事で、魅力が爆発するような曲だと思うんです。

【リメンバー・ミー】という歌と時間のジャンプ率

時を超えて家族を繋ぐと云うコピーがありますが、劇中、文字通り、「リメンバー・ミー」と云う歌が、人の時間を巻き戻すんです。

この歌が、思い出を取り戻すトリガーになっている。此処に感動がある。

人間が引き起こす様々なドラマ性は、当然ですけど、時間との闘いや、葛藤の中にあります。

生まれてから死ぬまでの、人間に与えられた時間が約100年だとして。人によってはそれが80年、50年と様々ですが。死ぬと云う圧倒的な事実と、それを前提に生きているからこそ動く心があります。

この有限のリソースから、誰かに何かに向けた、状態や行為として変換された意志。この心が、どれだけの数、何かに対する想起を繰り返して来たか。命を注いできたか。此処では、その執着の対象がなんですけど。

つまり、特定の誰かの事を想う数ですよね。思い浮かべてきた数。

その想いの度合いが、時間と云う物差しによって、客観的に裏打ちされるんです。この時間と回数が、劇中の主要人物に於ける情動の試金石として顕在化する。

それが、時を超えて家族を繋ぐと云うコピーの本質なのではないでしょうか。

「リメンバー・ミー」と云う歌が、人と人、そしてその時間を繋ぐ。

昔こんな記事にも書きましたけど、肯定的な永遠なんて無いんですよ。

永遠

永遠と云う概念を持ち出した時点で、全てが茶番になるんです。

人が死ぬ時とはいつか?それは人に忘れられた時

この世界では、生者の思い出が、死者の存在を繋いでいます。

もし、特定の死者を憶えている存命の人の記憶から、その死者が消えてしまった場合。

つまり、死んだ人との記憶を共有している人が、生者の世界から一人も居なくなってしまえば、その死者は、二度目の死と称され、死者の世界からも消える。

この構造は、とても興味深いメタファーです。

ONE PIECEのチョッパー編に登場する、ヤブ医者も言ってましたね。

人はいつ死ぬと思う…?

心臓をピストルで撃ち抜かれた時…

…違う

不治の病に犯された時…

…違う

猛毒キノコのスープを飲んだ時……

違う!!!

…人に忘れられた時さ…!!!

出典:ONE PIECE 16巻 173p

Dr.ヒルルク

Dr.ヒルルクは、この直後に笑顔で自殺しましたが、その後もチョッパーの記憶に生き、彼の信念を構成する血液として、心の中に流れ続けている。

この記事でも触れましたが

RADWIMPSの「週刊少年ジャンプ」を考察

映画バケモノの子で、蓮が熊徹の弟子入りする事を決意してから、蓮は最終的に熊徹の完全コピーを試みます。

ケツを掻くタイミングから、アクビのタイミング等、全ての挙動を真似た事で、熊徹の行動を予測出来るようになる。そこから一気に成長を遂げるのです。

そして最後のクライマックスシーンです。

最後、心の闇に呑まれた、同じバケモノの子としての境遇を持つ一郎彦を救う為、最悪、相手の闇を自分の中に取り込んで、自殺する覚悟で一郎彦と対峙した蓮。

それに対し、熊徹は、弟子の窮地を救う為に、灼熱の大太刀として付喪神に転生し、文字通り、蓮にとっての胸の中の剣になりました。

俺ぁ半端モンのバカ野郎だが、それでもあいつの役に立ってやるんだ。

あいつの胸ん中の足りねえもんを、俺が埋めてやるんだ!

それが半端モンの俺にできる、たった1つのことなんだよ!!!

熊徹ホント愛しいですね。

この時、死を覚悟した蓮の目の前に、上空から大太刀が降って来て、地面に突き刺さった瞬間の、あの硬さや速さ、そして熱さが伝わってくる、画面の迫力がたまらなくカッコイイです。

少年よナイフを握れ 心の闇を切り裂いて

出典:若者たち

GOING STEADY/峯田 和伸

私たち越えれるかな

この先の未来 数えきれぬ困難を

言ったろう 二人なら

笑って返り討ちに きっとできるさ

君以外の武器は他にはいらないんだ

出典:前前前世 original ver.

RADWIMPS/野田洋次郎

若者には武器が必要です。

飽きるとか飽きないとかの次元に無い、当人にとって必要な、愛着や執着によって構成された武器が。

例えばそれが、僕にとっては「漫画を描く」事だった訳です。

行き場の無いイノセンス イノセンス

今に見てろって部屋にこもって

爆弾を一人作る 僕らの薄弱なアイデンティティー

ひび割れたイノセンス イノセンス

こんなんじゃないって奮い立って僕は戦う

つまりそれが 僕等にとって唯一の免罪符

出典:爆弾の作り方

amazarashi/秋田ひろむ

人は誰しも誰かの血を受け継いでいる

此処でのとは、家族の繋がりとしての血筋の事は勿論、直接的、間接的、問わず、自分がこれ迄出会って来た他人から教わったもの。人格を形成している要素も含まれます。

例えばそれは、家庭の味やオフクロの味と称されるような、料理方法。ダンボールを畳む為に、ボールペンでガムテープを切り裂けるよ。みたいな、ちょっとしたTips。こうやったら効率化を図れるよ。と云う発想。好きな人の目線。言葉の使い方。等々。

如何に些細な事であれ、それをする時、教わった人の顔がぼんやり浮かぶんですよ。行為と先輩の記憶がリンクしている。

つまりこれら全てのものが、受け継ぐ者の胸の中の剣の一部として、内在しているのです。以下の記事で参照した、受け継がれるラモーンズの様式美も然り。

「これしかやらねぇ」VS「これしかできねぇ」

子供の心に残るのは

親が与えてくれたものではなく

愛を注いでもらったという感覚である

出典:リチャード・L・エバンズ

この世に産み落とされてから、記憶に無い程、何も解らない最初が誰にでもあった筈です。

忘れちゃったけど、確かに息をしていた空白の時間。

その空白に、親から受け取った献身が血液に流れているから、こうして今も存在していられる訳です。

それからも、自分自身で選んで来たお手本を模倣する事で、今の自分の人格が形成されている。つまり、誰もが誰かの影響を必ず受けている。

【リメンバー・ミー】は命のリレーを感じる作品

上記のように、リメンバー・ミーは、命の連なりや、大きな流れを感じる映画でした。

この動画によれば、現代人と同じ身体的な特徴が形成されてから、僕らは概ね7500世代目の子供のようです。

リレーみたいだな。と思います。僕らは生まれた時、アンカーな訳です。このままゴールまで走り切ってもいいし、バトンを次に手渡してもいい。

このバトンを手渡す。と云う行為は、何かの縁としか言いようの無いものが介在するので、自分の意志だけでは成立しない出来事です。そして異性同士、互いが互いを選び取る。と云うプロセスが前提になって来ます。

それだけに、子供が生まれてからは、取り敢えず「生き物としては次に繋げたな」

と云う妙な安堵と達成感があります。

仮に自分が死んでも、自分の一部がこの世に残る。と云う生物としての幸福感。

こうして存在している時点で、概算で7500×2人分の命をこの肉体に受け継いでいる事の顕れなんですよね。

と云う事はですよ。

地球上に生命が誕生したのは、概ね38億年前だと言われています。

従って、こうして遺伝子が途切れずに続いている時点で、38億年生きていると解釈する事も出来ますよね。

つまり、現在地球上に生き残っている生物は、須く38億歳であると。言えなくもないんじゃないでしょうか。なんだか壮大な気分です。



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mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
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