「妖怪のせいなのね!?」【ようかい体操第一】とデカルトの方法的懐疑
娘に買った電子ピアノに、【妖怪ウォッチ】の【ようかい体操第一】がデフォルトで入っていて、時々その曲を流しながら、息子が「フンフン〜♪」と口ずさんでいました。
ただ、ウチには世代の人が居ないので、我が家の誰にも【妖怪ウォッチ】自体は刺さってはいないんですけどね。
で、流れでなんとなく、【ようかい体操第一】の動画をYouTubeで流してみたら、息子が気に入ったフレーズがありました。
「どうしてウンチはプンプンプン?」の部分です。
子供って、なんで「うんこ」を買い被るんでしょうか。誰か、論理的に説明してほしい。
かく言う僕も、小学生の頃はよく、ノートにうんこ描いてました。
いや、楽でいいんですけどね。「うんこ」って言っとけば、簡単に笑うから。
子供の笑う顔は、最高です。
それ見たさに、なんの脈絡も無く、くすぐってしまいます。いい迷惑ですね。
そんな訳なので、最近は、朝の保育園に行く間、自転車のチャイルドシートで、息子がこの歌をよく歌ってます。
で、初めて【ようかい体操第一】の歌詞を通して見たんですが、そこで1つ思った事があって。
「妖怪のせいなのね!そうなのね!?」っていうフレーズがあるんですけど、「これ、デカルトの方法的懐疑じゃん!」
みたいな事を感じたんですよ。
はい、意味わかんないですよね。でも、思わず記事にしてしまいました。
哲学者の【ルネ・デカルト】の懐疑爆弾
デカルトってのは、フランスの哲学者の事で、「我思う、ゆえに我あり」って言った人です。
聞いた事ありません?哲学史上、上位にランクインするような有名フレーズです。
宗教的な根拠の混じった、曖昧さの残るスコラ哲学に対して、「なんか違くね?」って思ったデカルトは、「この世界で、疑いようの無い真理って何だよ?」って考えました。
そこで所謂、方法的懐疑によって、ありと凡ゆる事象を疑う事にしたんですよ。
普遍的な学問を追求していたデカルトは、そこで疑いようの無い真理を発見できれば、数学のように、正しい前提を第一原理に置いて、そこから正しい演繹ができると考えたんです。
その為に、破壊できない程の硬度で構成されている石(真理)を見つける為に、あらゆる石を爆弾で吹っ飛ばすみたいな事を始めたんですよ。
それでも最後に残った硬い石が、真だと考えたんですね。
それが方法的懐疑です。真を見つける為に、少しでも偽っぽいものは、全部排除していく。
例えば、今この目に入るリンゴはホントに存在しているのか?っていう懐疑爆弾をぶっ放して、更に「でも、夢かも知れない」って事すらも疑って追い討ちをかけていく訳です。
で、最終的には「これは悪魔が見せてる幻覚かも知れない」っていうとっておきの懐疑爆弾をぶつけ始める。
それこそホントに「妖怪のせいなのね!?そうなのね!?」っていうノリで、全部妖怪の所為にしてみるんですよ。
最後に辿り着いた結論が、疑っている自分が居るって事は疑いようが無いって事でした。
これが正に、「我思う、ゆえに我あり」なんですね。
ルサンチマンは用法容量を守って正しくお使いください
ただこれ、飽くまで真を探し出す為に、疑い過ぎちゃって「妖怪のせいなのね!?」とかやってるだけですからね。
よい子は、「俺が女子にモテないのも、数学の成績が悪いのも、妖怪のせいなのね!?」なんて責任転嫁するのは辞めてね。
ルサンチマンは用法容量を守って正しくお使いください。
参照記事:ルサンチマンって誰だよ!?
言っちゃえば戦争が終わらないのはずばり俺のせいなんだな
彼とあの子が付き合わないのも確実に俺のせい
はいはい全部全部全部俺のせいですよわかってますよ
この世の全ては私のせいでございます
申し訳ないでございます
出典:オーライオーライ
The Mirraz/畠山承平