「これしかやらねぇ」VS「これしかできねぇ」
※気付いたら、7000字ものボリュームの長文記事になっていたので、時間のある時にゆっくり読んでみて下さい。
これしかやらねぇ
さて、これまで参照して来たもの
これを一言で表すと、「これしかやらねぇ」と云うシンプル。そんなフレーズを抽出できます。
優先するもの、犠牲にするものを能動的に区別し、取捨選択する事で焦点を定める。
つまり、戦略的で意図的なトレードオフです。
二兎を追う者は一兎をも得ずと云う諺があるように、トレードオフを無視する事は、何も選び取っていない事と同義であると言えます。
選び取れない事、選び取らない事の弊害は、混乱と徒労です。
これはフィジカルでも、デジタルでも、メンタルでも同様の事が言えるかと思います。
そのたった1つの事ですら、護りきれない。勝ち取れない事だって多分にあるのに、アレもコレもってのは、時に無責任な態度だと言えます。
いずれ本質を見失ってしまいます。
たった一つ掴む為に
幾つでも失うんだ
出典:Sailing Day
BUMPOFCHICKEN 藤原基央
騙されても疑っても
選んだ事だけは信じて
出典:グッドラック
BUMPOFCHICKEN 藤原基央
何かを変える事ができる人間がいるとすれば、その人はきっと大事なものを捨てる事ができる人だ。
出典:進撃の巨人 アルミン
これしかできねぇ
これに対し、「これしかできねぇ」というシンプルについて考えてみます。
以下の記事で参照した、ルフィもこれに該当しますが
参照記事:シンプルとは何か?デザインとの相関を考察【頑丈編】
此処で参照したいのは伝説のパンクバンド、RAMONESです。
ラモーンズとは
ニューヨーク・パンクを牽引したグループの一つで、後のパンク・ムーブメントに大きな影響を及ぼした。
デビューから解散まで基本的なスタイルは変わらず、ビートルズやビーチ・ボーイズの影響を強く受けた音楽性、単純明快でストレート、キャッチーなメロディで、反体制なだけでないラブソングも多く、コードは3〜4つのみ、ダウンストローク一辺倒のハードなディストーションを利かせたギター、リズムは8ビートが中心、スピーディーな2分前後の曲が殆ど
僕がラモーンズを知ったのは、THE CiSTEMSと云うバンドの系譜を辿った所での出会いでした。
で、パンクバンドの系譜を辿っていくと、大半がラモーンズに収斂していくんでないかと思っています。
それ位ポップなんです。
ただ僕は、ラモーンズ好きですけど、【ラモーンズが好きなシステムズ】が好きなんですよね。
【アークティックモンキーズが好きなミイラズ】が好きなんです。
僕にとってのリアリティは、システムズやミイラズなんです。
ラモーンズが残した3つの様式美
- 4カウント
- 3コード
- ライダースジャケット
4カウント
ラモーンズのフォロワーで、真っ先に思い浮かぶのは、僕の世代だと50回転ズですね。
学生の頃、ライブ見に行きました。(以下は昔着てたツアーTシャツ)
ルーツ丸見えと云うか、寧ろ故意に前面に出していて、「ただただ、好きなんだろうなぁ」っていう、愛情や敬意を感じます。
曲のタイトルにもあるように、【Mr.1234 man】ってのは、ラモーンズのベース、DeeDeeRamoneの事です。
がなり立てるように全力な彼の、「ワンツースリーフォー!」を叫ぶスタンスが、後のバンドマンのカウントに、影響を与えている部分は多分にあるんじゃないでしょうか。
この攻撃的なカウントの熱感が、最高にカッコイイのです。
この人の所為で、疾走感の高い曲を聴いている時、例えばサビに入るブレイクの拍が4つあるだけで、頭の中で4カウントを叫ばずにはいられなくなりました。
3コード
1970年代、時代はプログレとかハードロックとか、音楽がどんどんテクニカルで難解なものになっていく中、時代へのカウンターとして、アナーキーに怒りをぶっ放すスタイル、パンクロックが台頭し始めます。
ラモーンズを始め、セックスピストルズや、ザ・クラッシュ達パンクスが、複雑化されたロックを、プリミティブでシンプルなものに引き戻しました。
これにより、複雑さへの反動としてのシンプルの波が起こります。
コードなんて3つで十分だバカヤロー。
なんなら楽器なんか弾かねーぞ。と。(シド・ヴィシャスのような )
ブルースリー的に言えば「考えるな、感じろ」と。
俺には「これしかできねぇ」んだよと。それでも「やるんだよ」と。
楽器弾かないスタイル。
これは今で言うと、ゴールデンボンバー的な発想でしょうか。
そう考えると、彼らはパンクスなのかも知れない。
この型破りな自由さが、以下の記事で参照した
参照記事:シンプルとは何か?デザインとの相関を考察【頑丈編】/ シンプル×心×頑丈×美学
ルフィの精神性と通づるものがあるんでないかと、勝手に解釈しています。
このように、初期衝動を初期衝動のままに大切にした人達、それがパンクロッカーなんでしょうね。
魂に、感情に、子供のように忠実に従う。
例えば、友達をピストルで撃たれた怒りで、絶対に逆らってはならないと言われていた世界貴族である天竜人を、躊躇なくぶん殴ったルフィのように。
(世界貴族の一存次第で、世界最高峰の戦力、海軍大将が軍を率いて潰しに来る)
出典:ONE PIECE 58巻 223p
電撃バップは僕もライブでコピーしましたよ。
コード3つしか使ってないのに何この安定感。楽しい。とか思いながら「Hey Ho Let’s Go!」でした。
これも正に、解り易く、弾き易く、堅牢な構成ですね。
多分誰がやっても格好良くなるんですよねこの曲。所謂鉄板なんです。SISTER JETの電源バップとか、クロマニヨンズの電撃バップとか、聴いてて気持ち良いですもんね。
因みに、ヒロト(敬称略)の電撃バップをフルで聴きたい場合は、7th Single、オートバイと皮ジャンパーとカレーの初回限定盤に収録されていますので是非。
ライダースジャケット
ラモーンズと言えば、ダブルのライダースジャケットに、USED感を膝に宿したデニム、そしてスニーカー。無骨な男の反骨スタイルです。
「ワイルドだろ〜う?」って言いたくなるかはさておき、元々は「ライダース」と言う位だから、辿っていくとバイク乗り達のマストアイテムだった訳です。
これは、1953年に上映された映画、【THE WILD ONE】の影響により、上記のスタイルは若者の不良のアイコンとして普及した経緯があるようです。
これを踏襲して、パンクロックアイコンに仕立てたのがラモーンズです。
最近、巷ではライダースジャケットが、甘辛mixと称されたコーディネイトの、辛い方として女性に扱われております。
この春、街に出るとやけに多くないですか?
こんなにライダース着てる女子居たっけ?と思う位目に付くんですよね。
流行ってるんでしょうか。
此処で言っておきたいのは、女性に流行アイテムとされる遥か昔から、ライダースは、格好良い男のジャケットだったと云う事です。
言い切ってしまえば、ロックな男のドレスコード。
このように、先述したような文脈を内包している、反抗の象徴的なジャケットなので、分かり易くマニッシュなアイテムである事は確かです。
甘辛mixの効用としては、これにフェミニンなものを合わせる事で、より女性らしさが強調される。と云うもの。
例えるなら、彼氏のパーカーやシャツを着た彼女が、ぶかぶかで可愛い。みたいなニュアンスでしょうか。違うか。
「これでいいのだ」っていう肯定
さて、「これしかできねぇ」と云うシンプルを考察する上で、参照しておきたい概念があります。
それは、ヘタウマです。
ヘタウマとは
主に歌唱やイラストレーションなどについて、通常の美的観点から見れば稚拙であり下手であると判断されるが、逆に常人にはなかなか表現できない味わいのようなものがあり、一種の上手と認められるさま、などを形容した表現。ヘタなんだけれどうまい、といった意味合いの語。
ヘタウマの精神性
ヘタウマって何かと言うと、初期衝動を持ち続ける。と云う事です。
衝動に対する情熱。それを持っていられる間に、直ぐに形容する。
そのスピード感が、ヘタウマを形成するのです。
ラモーンズのギター、Johnny Ramoneは、何かのインタビューで「ギターソロは弾かないんですか?」と質問を受けた際に、「そんな暇はない」と答えたと云う逸話があります。
ボーカルのJoey Ramoneも「なんで上手く演奏しなきゃいけねぇんだよ、上手くなるまで待ってたらジジイになっちまう」と発言していたとか。
演奏スタイルもさる事ながら、この技術に対するスタンスから生じるスピード感。無様でも転がり続けようとする気概。
そんな格好悪さが、格好良い。みたいな他者からの見え方。美意識。
このように、ヘタウマは一つの抜け方として機能するのではないでしょうか。
例えばそれは、今、目の前の目的を絶対に果たす。つまり、兄貴であるエースを助ける。
その想い一つで、格上相手に突っ込んでく、マリンフォード編(頂上戦争)のルフィみたいに。
出典:ONE PIECE 58巻 93p
白ひげ海賊団の船医に対して、「コイツはもう十分やった、手当を」と言った白ひげに、全身で彼は「そんな暇はねぇ」と言ってますよ。
心の鮮度
その時の想いなんて、直ぐに消えちゃうんですよね。
刺身は刺身になった瞬間から、鮮度が落ちていきます。仕舞いには腐ります。
感情も同様です。淀み続けるんです。
当然、最初に「やりたい」と思った時、手元に技術なんて無い。有るのは衝動のみ。
やりたい事は、いつまでもやりたい事で居続けてはくれないんですよ。動機は有限なんです。
(だから「永遠」とか、軽々しく口にするシンガーは遠ざけたくなります)
しかし、技術を追求している内に、衝動はどんどん希薄化してしまう。
だったら、100点は目指さない。
下手クソでも乱暴でもいい、それが仮に3点だろうと2点だろうと、この衝動をダイレクトにぶっ放す。行動する。更新する。それがパンク的な思想なのでしょう。
音楽活動に限らず、何かを続けるに当たって、最も必要なものとは何かと言えば、それは、情熱だと思います。
つまり、ヘタウマってのは本質を突いてるって事です。
最も必要な推進力である、情熱を重視する訳ですから。
赤塚不二夫(敬称略)の「これでいいのだ」な精神性も、これに近しいものがある気がします。
これはもう、クリエイターの一つの美学じゃないでしょうか。
ラクガキはラクガキだから良い。みたいな。
誰が言ったのか、「完璧を目指すより まず終わらせろ」と云うフレーズがありますが、これを思い出しました。
この一言に、彼等ラモーンズのスタンスが集約されているように思います。
FacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグの言葉。と云う説が有力ですが、実際は謎です。
でも至言だと思うんです。アレコレと高尚な理想を掲げた所で、行動に移せなければ、何もしていないのと同義ですからね。
どこにも行かないではいられない
どこにも行かないでは終われない
Oh Yeah Keep On Rolling Oh Yeah Keep On Rolling
Oh Yeah Keep On Rolling Oh Yeah Keep On Rolling
出典:boy
a flood of circle 佐々木亮介
3つの精神性を内包するパンク・ロック
新生児の泣き声―これこそ、パンク・ロックに対する僕の定義だ
出典:Sonic Youth サーストン・ムーア
パンクと子供って、通づるものがあるなと思っていて。
プリミティブなんですよね。動物的と云うか。破壊的と云うか。
新生児って泣く事でしか、自分の意思表示を伝える手段を持ちません。
そのたった一つの手段で、様々なヘルプを伝えるしかない訳です。
このもどかしさとパンクが、なんとも近しいものがあるように思えます。
これがつまり、此処で言うところの、「これしかできねぇ」なんですよね。
過去に記した記事、愚直にもあるように、僕は老若男女問わず子供の愚直さみたいなものを失わない人が好きだな。と思うのです。
何でかって問われれば、全力で真剣だからです。
僕の好きな人達は、心に子供が居るんですよ。
此処での子供ってのは、何かと言うと
- 無軌道で支離滅裂な感情の爆発力とも言えるし。
- 好奇心や探究心に伴うドーパミンとも言えるし。
- 周りなんて見ない、目の前の事しか見えてない、視野の狭さでもあるんだと思います。
これがつまり、僕の中での子供なんですけど。
当人にこれを成立させる愚直さがないと、子供的な発想や感情って失うと思うんですよ。
そのまま生きるには、障壁が多すぎて。
だから、大人になっても心に子供が居る人ってのは、めちゃめちゃタフなんです。
それが、先天的に持っているものなのか、後天的に得たものなのかは解らないですけど。
従って、僕が「格好良い」「美しい」と感じる大人って、少なくともこの3つの構成要素を内包しているんじゃないかと推察しています。
それは、子供とシンプルとタフです。この3点セットが魅力の秘密です。
手の抜き方なんて知らない
菅原小春(敬称略)と云う、ダンサーが居るのですが、ダンスは勿論の事、彼女の目付きと、話し方を見てるだけで、何故か胸が熱くなるんですよ。
それは何故なのか。やはり心に子供が居るからじゃないかと思うのです。
人の心を動かすのは子供なんですよ。
例えば、パブロ・ピカソが晩年目指したものも子供の絵だったと言われています。
ラファエロのように描くには4年かかったが、子どものように描くのには一生涯かかったよ。
出典:パブロ・ピカソ
パブロ・ピカソは多作な画家で、生涯に於いて作風をどんどん刷新し、変化させていきました。
これはつまり、自己否定を繰り返して来た結果だと言えます。
そしてピカソは、これまで上手い絵、良い絵とされていた写実的な絵画。つまり絵画界の常識を、キュビズムと云う手法で破壊しました。
そんなピカソが、最後に辿り着いた極致が子供の絵、つまりヘタウマだった。と云うのはとても興味深いです。
当然初期のピカソを知らない場合、何コレ?凄いの?って思ってしまうのも無理は無いのですが、子供の頃から写実的な絵を描いて来た経緯があっての、あの絵な訳です。
晩年のピカソの絵って、一見意味不明に見えます。なんか変。普通じゃない。
一言で言うと「なんじゃこりゃ」です。
でも何かすごいぞと。よくわからないけど凄い。理由が解らない。言葉にならない。
だからこそのアートなんでしょうけど。
個人的にはこの「なんじゃこりゃ」な体験が今までの人生で、一度だけあります。
それはTHE CiSTEMSのギターで、現在KiNGONSのフロントマンである、ビービーさんのライブを見た瞬間です。
衝撃でした。ビービーさんのライブって「なんじゃこりゃ」なんですよ。
で、この「なんじゃこりゃ」を引き起こせるのは、子供だけだ。と云うのが僕の見解です。
つまり、「なんじゃこりゃ」な状態って、この記事で参照した洗練とは真逆の状態なんですよね。
子供って、今さっきまで大声で泣いてたのに、次の瞬間には爆笑してるような切り替えの早さを宿しています。
かと思えば、意識を失うように突然の眠りに就く。
このように、縦横無尽に喜怒哀楽が跳ね回る事。
この豊かな感情の解放って、自分の感情に忠実でダイレクトでストレートな子供にしか出来ないんですよね。
そして、全力で生きてるからこそ、バッテリー切れみたいな眠り方をするんだと思います。
このCMによれば、子供は1日に400回笑うとあります。片や大人は15回だと。
つまり何が言いたいかと云うと、大人以上に子供は、人間らしい生き物なんじゃないか。と云う事です。
やっちゃいけないって事をやってしまう。ルールを守らない。やってみたいからやる。衝動に身を任せる。
これって、機械的にロボット的に洗練されていく大人には真似出来ません。
THINK VS FEEL
このように、シンプルに至るまでのプロセスには、「これしかやらねぇ」と「これしかできねぇ」の、2通りの筋道がある。と云うのが僕の見解です。
これは言い換えると、THINKとFEELの図式でもあります。
もっと言うと、大人VS子供の関係。
どっちが良いとか悪いとかでは無く、それぞれの魅力がそれぞれのシンプルに集約されてるのです。
おまけ
かく言う僕も、バンドを組んでいた時代、ラモーンズを踏襲したシステムズを、僕なりに踏襲した曲を残しています。
リハーサルスタジオにテープレコーダーを置いただけの録音方法なので、音質悪いし、途中からちゃんと歌ってないし、演奏もめちゃくちゃですが、どうしようもない熱だけがあります。よかったら聴いてみてください。(本人達が一番楽しんでいる)
tokkinzのテーマ
歌詞は終始「We are the トッキンズ」の一点張りなのです。
曖昧MEマイン
片やこっちは、ちゃんとレコーディングスタジオで録った曲です。
此処で言う「下手クソなりの 今を搭載」は、今思えばヘタウマ的な思想だったんだなと気付きました。