シンプルとは何か?デザインとの相関を考察【洗練編】

2019年7月10日思考のデザイン

simple-complex前回の記事

シンプルとは何か?デザインとの相関を考察【必要最小限編】

を受けての記事となります。

今回もシンプルである事を美学、或いは哲学としていた、偉大な先人の言葉を一部紹介します。

シンプルさは究極の洗練である

代表作となる、モナ・リザを描いた人として知名な芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチ(敬称略)ですが、彼はそれ以外にも、解剖学、数学、軍事学、音楽、建築、幾何学、医学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、光学、力学、土木工学、航空学等。

多岐に渡る功績を残しています。

そのあまりの実績数に、レオナルド・ダ・ヴィンチは数人居たんじゃないか。なんて説も提唱される程です。

(因みに、レオナルド・ダ・ヴィンチは2019年で、没後500年を迎えます)

そんな、史上類を見ないジェネラリスト、レオナルド・ダ・ヴィンチですが、当時、こんな言葉を残しています。

人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しくシンプルな、あるいは正確な発明をすることは決してできない。

なぜなら自然の女神の創造物には何一つ欠けるところがなく、何一つ過分なものがないからである。

ルネサンス期の芸術家は、人体の写実的な表現のために、体の内部構造を知っている必要があると考えていました。

そんな時代背景から、彼らは人体解剖を行う事で、本物の筋肉や骨格を肉眼で確認し、それを絵画や彫刻作品の中に、忠実に活かそうと試みていました。

その当時は当然、写真も模型も無いので、墓場からこっそり遺体を盗んだり、死人の出た貧しい家から、埋葬前の遺体を買ったりしていたそうです。

レオナルド・ダ・ヴィンチも同様に、動物の死骸や、処刑場に放置されていた死刑囚の死体を解剖し、内臓や骨格の構造をスケッチして考察していました。

また、妊婦の死体を解剖し、胎児の成長過程を知ろうと試みていた。なんていう逸話もあります。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、人体への芸術的興味を科学的探求へと発展させ、更に哲学的内省へと結び付けてゆきます。

宇宙に於ける、人間の役割について考え始めるのです。(スケールデカすぎです)

レオナルドのメモ

その頃に、古代ローマ時代の建築家、ウィトルウィウス(敬称略)が描いた、建築理論の文章を、絵として表現したウィトルウィウス的人体図が考案されます。

丸と四角の中に人が両手を広げてるあの図です。

この図には、意図的に黄金比を取り入れて描かれている事が、後に解っています。

レオナルド・ダ・ヴィンチについて、30年以上研究している向川惣一(敬称略)が言うには、ベネチアで、レオナルド・ダ・ヴィンチ関連の展覧会を見に行った際に、作品を近くで見たら、おびただしい数のコンパスの針の穴が開いていたそうです。

つまり、レオナルド・ダ・ヴィンチは数学的なアプローチで絵画を作画していた事が、推測出来る訳です。

この飽くなき考察と、愚直さが、彼の非凡な精神力を構築し、多岐に渡る功績を残した所以なんだと思います。

そのようにして、過分も不足も無いバランス状態の美しさを知り、最終的にこの言葉に繋がって来るのかと。

シンプルさは究極の洗練である

これに関しては、星の王子様の著者、サン=テグジュペリ(敬称略)も、近しいニュアンスの事を言ってますね。

完璧がついに達成されるのは、何も加えるものがなくなった時ではなく、何も削るものがなくなった時である。

シンプルが成立する為の本質が、これらの言葉に含蓄されているように思います。

ジェンガに例えると、あと1本抜いたら崩壊してしまうような、そんな、過不足の無い、ギリギリのバランスで成り立っている状態。

その極点を知る事。それが洗練なのかもしれないですね。

過分も不足も無い

ざっと列挙しただけで、これだけのシンプルを確信する名言や、箴言が残されている事からも、如何にシンプルを目指すか。と云う事が、本質的な営みであるかを表しているのではないでしょうか。

そして、これらを無理矢理ミキサーにぶち込んで自分なりに絞り出してみると、

シンプルとは、複雑な情報の中から余分なものを捨てまくった末に残る、本質である。

と云うセンテンスが抽出される気がします。多分。

物数を尽くして工数を減らす

最初は単純なものから始まります。easy(簡単)の段階ですね。

これは言い換えると短絡な段階とも言えます。理解が無いのです。この段階では何も捨てられません。

そこから、sophistication(洗練)へ行くには、一度複雑な段階へと足を踏み入れる必要があるかと考えています。

複雑な情報の理解を得る為です。

単純なものから、拡散複雑→収束の過程に、拾ったり捨てたりして来たものが、必要最小限のシンプルさ(sophistication)を構成しているのだと、僕は捉えています。

例えば、ドラゴンボールと云う少年漫画に、フリーザと云う名の宇宙人が登場します。

初登場時は、宇宙最強の存在として描かれていました。

余談ですが、ドラゴンボールのネーミングの特徴って、以前この記事で紹介した楽天Koboのように、アナグラム(言葉遊び)で構成されている点です。

そして、このフリーザのネーミングモデル。作者である鳥山明(敬称略)としては、野菜(サイヤ人)、果物(キュイ、ドドリア)、乳製品(ギニュー特戦隊)を統括する上位概念として、本当は冷蔵庫(リフリジレーター)にしよう。と云う意図があったそうです。

しかし、イマイチピンとこなかったから冷凍庫(フリーザー)になったんだとか。

そんなフリーザですが、自分の意思で、ポケモンみたいに形態をスケールさせる事が出来ます。

第一形態(デフォルト)から、第四形態(最終形態)までの幅があり、変身する毎に戦闘力も比例して上がる訳です。

で、面白いのがこのデザインにあります。

当然、戦闘力が上がる訳ですから、身長が倍くらいになったり、外殻が変形したり、突起が伸びたり増えたりする訳です。

ところが、最終形態になるとツルツルになるんですよ。つまり、シンプルになるんです。

正に、アメリカ建築の三大巨匠の一人、ルイス・サリヴァン(敬称略)が言うところの

形態は機能に従う(form follows function)

な、姿じゃあないでしょうか。(後に登場する強敵、セルや魔人ブウの最終形態も、シャープだったり小柄になるような系譜を継いでいます。)

これに関しては、作画の省力化。と云う作者側の意図的な背景はありますが。(スーパーサイヤ人は、ベタ塗りが面倒臭いから金髪になった。と公言しています。)

フリーザは上記のように、複雑→収束を、体現してるキャラクターなんじゃないかと思うのです。

さて、連載に当たって鳥山明が、作画の工数を減らす。と云う工夫をした事にも着目をしたいのですが。

特定の分野に於いて、手の抜き方が解る。と云う事は、それに対する理解が深まっている事でもあると思います。

初心者が何かを始める時って、最初は全体像が解らないから、常に全力でタスクと対峙する事が、デフォルトの姿勢にならざるを得ないかと思います。

必死な状態。故に無駄も多い。

これに物数を尽くし、経験値が積まれる事で、何処にエネルギーを注力すれば良いかが解って来る訳です。

つまり、これも一種の洗練なんですよね。

僕自身、学生時代に陸上競技部に属していましたが、高校2年の大会で出場した200m走で、力の抜き方が解った瞬間があったんですよね。そこから一気にタイムが縮んだのです。(それまではアホみたいに全力でガチガチでした)

体が思うように動かなくなると、必要なものだけで体を使っていこうとするんですよ。

だから年取って、いいかなと思う事はそういう事でしょうか。

料理家 辰巳芳子

シンプルである事の所以

シロワニと云う名の、サメが生まれてくるまでの過程ってご存知でしょうか。

サメのみならず、生き物全体に於いても珍しい行動らしいのですが、このシロワニ。

子宮内で孵った胎児同士が共食いをします。

つまり、子宮内でバトルロワイヤルみたいな戦いが行われていて、勝ち残った者のみが、海に生まれて来れるのです。(シロワニの子宮は2つ。従って最大2匹)

でも、よく考えたら精子もそうですよね。

約3億もの精子が、子宮に解き放たれても、卵子に到達出来る精子は1個。競争率3億倍。

頂点以外の精子は、ビリだろうと2位だろうと無差別に淘汰される。

弱肉強食の世界では、オンリーワン。なんて気休め言ってる場合じゃないんですよ。

ナンバーワンじゃなきゃ死ぬんです。

そして、シンプル(easy)がシンプル(sophistication)として形成されるまでの過程にも、正にこんな経緯と構造があるんでないかと思うのです。

つまり、シンプルの強靭さみたいなものって、膨大な数のシンプル達が複雑に鬩ぎ合って、削られて、生き残って、勝ち残った姿に漸く宿るものであって、引き算の美学の上に成立するのです。

決して簡単だったりとか、安直だったりな過程を経ている訳では無いのです。

頂点以外は淘汰される、残酷なまでのシリアスな仕組み。

それが強靭である事の所以です。

背後に流れる時間

ドラゴンクエストをやった事が無くても、序曲を聴いた事のある人は多いのではないでしょうか。

あの曲を作曲した、すぎやまこういち(敬称略)は、ドラクエの序曲を5分で作曲したらしいです。

ところがこれは、マクロで捉えれば5分ではありません。

「5分と54年で出来た曲」と、本人は公言している訳です。

それまでその人が生きてきた時間があって、成立する5分だからです。

実はこれは、パブロ・ピカソ(敬称略)の、有名なエピソードに感銘を受けた発想らしいです。

ピカソもその昔、ある店のウェイターにファンだから絵を描いてくれと頼まれ、ナプキンに30秒で描いた絵を差し出し、100万ドルを請求しました。

「30秒で描いたのに100万ドル?」と言ったウェイターに返した言葉が、「30年と30秒だ」と発言した。と云うものです。

ここで着目したいのは、アウトプットに掛けた時間は短時間であっても、それを出力した、一流の人間の裏側には、高密度の時間と経験が流れている。と云う事です。

高密度の時間とは、人が集中力を発揮させて来た時間の総量です。

つまり、シンプルとは長い時間、或いはそれに相当する研磨、負荷を掛けて形になるものであって、一朝一夕に「ほい!出来ました!」と簡単に言えるものではないのです。

1万時間の洗練

フロリダ州立大学の心理学者、K・アンダース・エリクソン(敬称略)の研究を、マルコム・グラッドウェル(敬称略)が著書「Outliers」(邦題:天才!成功する人々の法則)を参照し、提唱した、1万時間の法則があります。(厳密には拡大解釈し、提唱した。と言った方が正しいのでしょうか)

僕が所有していた書籍にも、1万時間の法則が引用されているものが、3冊ありました。

という事は、他の書籍にも引用されてそうな気配がします。

これは、或る特定の分野で一流の専門性を身につけるには、最低でも1万時間を要する。というものです。

但し、これは飽くまで目安の話で、1万時間。と云う響きがキャッチーな為に、バズって拡散した法則。とも言えそうです。

3650日

日本時間で、今月の5日に開催された第90回アカデミー賞授賞式にて、辻一弘(敬称略)が、日本人初のメイクアップ・ヘアスタイリング賞を受賞しました。

そんな彼が凱旋帰国し、25日放送のフジテレビのワイドナショーに出演していました。そして、若い人へのアドバイスに「10年続けろ」と云うコメントを残しています。

10年続けないとわからないです。良いか悪いかも。

Make-up artist 辻一弘

概算で、1日8時間を1250日(3年と155日)続けると、1万時間になります。

社会人として仕事をしている立場からすれば、1日8時間は基本的な労働時間に相当しますね。

そこに休日等を含めると、概ね4年働けば、それなりの知識や技術等の経験を得られる。という事になります。

では実質8時間、ぶっ通しで集中しているか。と顧みると、それは難しいんでないかと思います。

米マイクロソフトのカナダの研究チームの研究によると、現代人の集中力は金魚以下だと発表してます。

定説では、人間の集中力の持続時間が短くて15分、長くて90分。と言われています。

従って、常人は1日のトータルで、3時間〜6時間位の集中が、限界なのかなと思います。

以前の記事にもあるように

論理とは何か?デザインとの相関を考察【スピード編】

漠然と練習しても効果は薄い為、ただ長く続けていれば良い。と云うものでもないし、指導者の影響も多分にあるでしょう。

しかし、少なくとも上記のような洗練の域に達する事を目的、或いは留意するのであれば、長い時間を要する事は確かです。

此処で、イチロー(敬称略)の有名な言葉を引用します。

メジャーリーグでヒットを量産したジョージ・ハロルド・シスラー(敬称略)の、シーズン通算257安打の記録を抜いた2004年10月1日。

試合後のインタビューで、イチローはこう語っています。

いま小さなことを多く重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道なんだなという風に感じていますし、激アツでしたね。今日は。

基本的に生物は、ポケモンの進化のように、

「……おや?ピカチュウの様子が……」

みたいな、突発的な変わり方は出来ません。

生物が特定の機能を特化させるには、長い時間を掛けて刷新してゆくしかありません。少しずつ、ゆっくりと。

そう考えると、絶滅せずに種の存続を許されている動植物の全てが、シンプルに構成されている。と解釈する事も出来ます。

時代や環境に適応する為に、必要な機能は特化され、必要の無い機能は退化するからです。

例えば、人間の肉体は、複雑な構造をしていますが、進化の観点から見れば、凄まじくシンプル。とも言えるのではないでしょうか。

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mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
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