【なんか疲れた…】って時に辛いものを食べたくなるメカニズム
或る日、精神的疲労がピークの頃。
雑用で街に出ていて、「昼食をどうしようか」なんて、ぼんやり考えていました。
しかし、空腹なのに食欲が無い。そんな状態故、大好きなラーメンさえ食べる気にならない。
ただ何故か、カレーは食べれそうな気がして、近くにあったCoCo壱に吸い込まれるように入店してみました。
「辛いって気持ちいい!?」3辛との出会い
CoCo壱に関しては、記憶にある限りでは一度だけ入店した覚えがあります。
独身時代に、みなとみらいのレイトショーを見た帰りに、立ち寄った記憶が。
ただ、そこまで凄く美味しかった記憶も無いし、その割に高価な印象だったので、その時は「此処でいいや」くらいの消去法的な選択でした。
メニューを眺めながら、普通に頼んでも面白くないなと思った僕は、なんとなく辛さを上げてみました。
初めてだったので。その辛さ、3辛。
これが、その時の自分の状態に見事にハマってしまって、絶妙な旨さというか、心地良さだったのです。
体が欲していたからなのか「辛いって良いな」と感じた次第です。
カスタマイズ性に宿る【CoCo壱ブランド】
CoCo壱の魅力って、このカスタマイズ性にあるんだなと実感しました。
つまりトッピングありきのフォーマットだからこそ、普通に注文すると当たり障りの無いプレーンな味になっている。同じ料金なら、北海道のスープカレー食べた方が僕は美味いし。
因みにこのトッピングの総数、なんと8兆通りあるようです。TVで、カレー研究家のスパイシー丸山(敬称略)が言及していました。
「そんなに要らないだろ」とは思いますけど、これなら不特定多数の嗜好にもマッチングしますかね。
そのスパイシー丸山のお勧めがどうやら3甘+5辛だそうで、単純に2辛にするよりも味に奥行きが出るらしいのです。
個人的には、次に来店したら4辛を試してみたいところですけどね。自分にとって丁度良いラインを知っておきたいので。
そんな訳で、コルチゾール(ストレスホルモン)塗れの気分の際は、辛いものが苦手でなければ是非、お試しあれ。
【辛さを科学する】カプサイシンの効果とスコビィル値
どうやら人間は、ストレスが溜まると辛いものが食べたくなる。
そんなメカニズムがあるようです。
この辛味を引き起こしている成分は、カプサイシンです。ヒリヒリ系の辛さは、全部コイツの仕業なんですよ。
カプサイシンは、ナス科トウガラシ属の果実に含まれています。
例えば
- ハラペーニョ(2500~8000SHU)
- 鷹の爪(4万~5万SHU)
- タバスコペッパー(3万~5万SHU)
- ハバネロ(35万SHU)
- キャロライナ・リーパー(300万SHU)
これらの品種は、全部トウガラシに属するものです。
因みに、辛さを表す単位はスコビィル値と言います。
上記のトウガラシの数値にあるSHU(scoville heat units)の事です。
飽くまで目安ですが、これによって辛さの戦闘力みたいなものが解ります。
数値から察するに、キャロライナ・リーパーなんてもう、食べ物じゃありませんね。
カプサイシンには、食欲増進の効果があるので、冒頭で「カレーなら食える」と思ったのは、カプサイシンに対する期待だったのかも知れない。
辛さとは痛みである
但し、辛さと引き換えに、味を楽しむ回路はほとんど機能を失うので、そこはトレードオフです。
何故なら、辛さを感じる受容体は、味覚ではなく、痛覚だからです。
従って、辛さと云う感覚は、所謂5つの味覚(甘味・酸味・塩味・苦味・旨味)には該当しないのです。
例えば、一風堂の「からか」と云うラーメンがあります。これも辛さを選択出来るようになってます。
僕は5辛と伝えたんですが、注文時に誤解されていたらしく、伝票をみたら辛さMAXの特辛になっていいました。
どうりでススる度に「ゴフッ」てなるなと思ってたんですよ。
こうなってくるともう、何食ってるのかよく解らなくなってきます。
繊細な味を楽しみたいのなら、辛さと云う要素は、スパイスとしての位置付けで脇を固めてもらってる位が適切です。
辛味を求めるのは一種の自傷行為かも
という事はですよ。
もしかしたら、辛いものを食べたい心理状態って、一種の自傷行為なのかも知れないぞ。と気付きました。
リストカットとか、した事は無いけれど、それに近しい意味があるんで無いかと。
そもそもリストカットする人ってのは、慢性的にストレスフルな心理状態です。
悩みの無いハッピーな人が、わざわざ自分を傷付けるような心理に追い込まれるとは考え難い。
そして人は、その内圧を何処かで破裂させる衝動に駆られるものです。
以下の記事でも引用しましたが、感情に対して抑圧的になれば、その分何処かで攻撃的な衝動が、その反動で表出するように心は出来てるからです。
参照記事:気付いたら子供に怒ってばかり…そんな自分を客観視させたセンテンス
自分の気持ちを伝えることを遠慮する、言いたいことを我慢する、言いたいのに言えないという気持ちは、必ずどこかで攻撃的な態度となって表れ、精神のバランスをとるようになっているのです。
でもそれが上手く出来ない人が、無意識に取ってしまう手段が、自傷行為と捉えて良さそうです。
精神的な痛みに対して、肉体的な痛みを当てる事で、精神的な痛みを掻き消そうとする心の働き。
つまりこれは、過剰なストレスから自分を守る為の正常な反応なのだと言えます。
例えば、物に当たる人は、それが外側に向かっている訳です。
その攻撃性が内側に向くのか、外側に向くのかの違いですよね。
一時期、異様な加速度で話題となった不倫騒動も、原因として、当事者の心理状態に何らかの内圧が掛かって、何処かで崩れて傾いたバランスの反動で走る行為であり、その結果なんだと思います。
それか、ただの暇人か。そのどっちかなのかと。
【ストレス】や【イライラ】で心を包囲された時
音と言葉に心を委ねるだけで、こんなにも生命力が湧き上がるのか。
と、再度思い知らされた曲が、eastern youthの「ソンゲントジユウ」です。
生きる事の基本て、「抗う」事だと思っています。
逆に、恙無い日々を送る事が出来ているなら、この唄が響く事は無いでしょう。
かぐや姫の物語を劇場で見て、「生きてる手応えさえあれば」って言葉に涙が出たのは、あまりにも生きてる手応えの無い自分が居るからですね。
僕にとっては、生きてる手応えって、漫画を描いてる時と、バンドやってる時しか、実感として無かったんですよね。
その両者を失ってしまったから時だったからこそ、響いた言葉だったりします。
生きてる手応えを強く感じる状態って、三者三様だとは思いますが、好きな事をしている時程に感じるものなんじゃないでしょうか。
以下の記事でも述べましたが、そこに死の気配を感じるのであれば尚更です。死ありきの生ですから。
それを思い出すんです。
別に元気なんか出す必要ないよ
どう転んだって俺は俺
どんな俺だって俺は俺さ
出典:ソンゲントジユウ
eastern youth/吉野寿
このフレーズ一つで、自分を取り戻す感覚を追想します。
自分への諦観であり、信頼でもあるような言葉に感じられます。
それ以上でも、それ以下でもないと、言ってるかのような。
こういった、自分と他人との間に線を引こうとする表現、好きです。
他人にどう思われるか。のような自意識。
それを認識するメタ認知的な観点て、時に、物凄く邪魔になるんですよ。
自分が感じた事に耳を傾けたい時、自分の純度を上げたい時、他人が邪魔で仕方なくなる。
外界を遮断して地下室に鍵を掛けて引き籠りたい。
精神と時の部屋状態をつくりたい。主観塗れになりたい。
これは所謂、閉じた自分ですよね。そういう時も必要なんですよ。別に元気なんか出す必要ない。
私はやっとここで自分だらけになれた
出典:楽園天国
チャットモンチー/橋本絵莉子
自分を好きになりたいか
気分に任せて歌える様に
自分を好きにならないか
他人から見える あんたの事じゃなくて
出典:本当の事
ircle/河内 健悟
音楽や漫画って、何故か自分が弱ってる時程、クリアに響くものだから。
そんな時は、カレー食って、音楽聞いて、また明日に挑んでみるってのもアリじゃないかと。そんなお話でした。