気付いたら子供に怒ってばかり…そんな自分を客観視させたセンテンス

2018年11月6日子育ての学びをブログレビュー

親子

近視眼的になっちゃった生活

信号待ちのような、1、2分の可処分時間に、Pinterestのタイムラインを見る癖が付いています。デザインのネタ探しです。

数分だと、何か文章を読むにも、微妙な時間とマインドセットなので、気持ちが入らないし頭に入らないんですよね。

従って、手軽に見て、且つ、いつでも区切って消せる画像を眺める時間に当てています。

そして、たまたまそこに流れて来た見出しを、何気無く辿って読んでいたら、こんな記事に行き着きました。

「子どもに当たり散らす親」がいずれ陥る悲劇 

そこで、心に刺さった言葉を以下、列挙しますと

親がイライラしてしまっている時点で、すでにしつけは無理です。

親も、ひとりの人間、イヤなことも悲しいこともあります。

ですから、その感情が子どもに向いてしまう前に、怒りやイライラがどこから来ているものなのかを、認識することが必要なのです。

さっきもらったママ友からのメールの内容にカチンと来ているのかもしれないし、今朝の夫との喧嘩かもしれません。

それは、子どもには、直接関係のないことです。

子どもから話しかけられて、対応できる気分じゃない時もあるでしょう。

そんな時「うるさい」「今、忙しい」などと応えるのではなく、

「今、ママはこんな気持ちで話ができないけど、それはあなたのせいじゃない」ということを伝えてほしいのです。

自分の気持ちを伝えることを遠慮する、言いたいことを我慢する、言いたいのに言えないという気持ちは、必ずどこかで攻撃的な態度となって表れ、精神のバランスをとるようになっているのです。

これらのセンテンスに、思い当たる節が多分にあり、親として機能してない自分の態度に俯瞰で気付き、情けなくて涙が出ました。

子供にとってはたった一人の父親

ここで今一度立ち止まって、自分の取るべき態度について整理したい。

例えば、子供が理不尽な癇癪を起こしている時って、親に精神的な余裕が無いと簡単に子供の感情に触発されてしまいます。つまり、不必要に怒ってしまう。

人のイライラって、即伝播するんですよね。

そして、親の心理状態がどうとか、子供には関係無い。これは至言でした。

そうなんだよな。親的には色々あるけど、その色々を、色々のまま、子供に押し付けないで、一旦、感情を理性のフィルターに掛けて、子供に差し出す必要があったんですよ。

でもその視点が、何らかの原因で抜け落ちると、それが上手く出来ずに、怒ってしまう。勿論、怒ってしまう方も苦しい。自己嫌悪に陥るから。

子供は基本的に、親から理不尽な支配を受けると言ってもいい。

だからこそ、その親が、立場に対して自覚的である必要がある。

何故なら、子供にとっては親が全てだから。

余裕で許す

表面的には泣いていて叫んでいる様も、その内側にフォーカスすれば「こっちを見てよ!」「愛してくれよ!」と苦しんでいる。

でも、それを表現する術が、泣く。喚く。しか無い。

そうやって、冷静に想像する余裕を持つ。そんな気持ちを持って受け止める大人こそが、大人なんだと云う事。

主観だけで生きてると、こんな風にはなれません。

メタ認知が無いと、思考停止状態に陥るので、苛々を反射的にそのまま撥ね返す選択肢しか生まれないのです。

出来事や現象が肉体を通過した時、その情報をどう処理し、どんな態度を取るか。これを選べるのが大人で、選べないのが子供なのかも知れない。

だから、怒ってしまう時ってのは、自分も子供の状態なのだ。悪い意味で。

親としての自分は4歳。子供も4歳と2歳。互いに未熟ながら、失敗を重ねて、成長するしか無いですね。

片付けたその日に、部屋がグチャグチャになり、床を拭いたその日に、食べこぼしで床がベチャベチャになった時の虚無感。

明日も結果は同じだから、その都度片付けなくても良いんじゃないの?なんて気分になってきます。

家事最高!とは一切思えないけど、そう思える位の余裕を持てなければなと。

その為にも、自分が提供出来る価値をマネタイズするプラットホームとして、このブログを育てていく事は不可欠です。

Left Caption
mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
この記事のURLとタイトルをコピー
お使いの端末ではこの機能に対応していません。
下のテキストボックスからコピーしてください。