ゴジラ【キング・オブ・モンスターズ】は期待以上の傑作【映画感想文】
今更のツイートだけど、公開初日の朝一でゴジラ見て来た。
平日の金曜だったからか、ガラッガラで、おっさんしか居なかった。
ゴジラだけは、劇場で見なければならないという謎の義務感があるので、来年の【vsキングコング】も、無理矢理時間つくって見に行くんだと思う。 pic.twitter.com/8zRvdyDiam
— みきお▶︎100冊読書挑戦中 (@mikio_96) 2019年6月2日
公開初日に、ゴジラ【キング・オブ・モンスターズ】を見て、子供の頃の思い出が炸裂した男。mikio(@mikio_96 )です。おはようございます。どうも。
以前、以下のような、巨大さへの憧れみたいなものの象徴としての【ゴジラ】。というテーマで記事を綴りました。
参照記事:【迫力の秘密に迫る】エレキギターとアンプをシールドで繋いだ時あなたは怪獣王ゴジラになる
シン・ゴジラより、劇場版エヴァンゲリオン:Qの同時上映、【巨神兵東京に現わる】の方が鮮烈な印象が残ってる。
約10分と云う短編の中に、異様な余韻を残す作品だった。
僕にとって、美とは、圧倒的な【迫力】の中に内在するもの。 pic.twitter.com/LDPedU2cqe
— みきお▶︎100冊読書挑戦中 (@mikio_96) 2019年4月15日
まぁとにかく僕は、デカイものに惹かれてしまう習性があるみたいです。
それと、基本的に神っていう単語が嫌いなんですが、今作、ゴジラ【キング・オブ・モンスターズ】は本当に神々しいっていう単語が相応しいってくらい、怪獣に畏敬の念を感じさせられてしまうような映像となっています。
やっぱり、ゴジラを見るならバカでかいスクリーンに、バカでかい音で感じるのが最適解ですよ。
【キング・オブ・モンスターズ】は、カリフォルニアの映画会社であるレジェンダリー・ピクチャーズによって、制作されています。
日本生まれ、アメリカ育ちのゴジラです。
そして、日本の東宝と提携して制作されている、モンスターバースシリーズの三作目に当たります。
- GODZILLA ゴジラ(2014)
- キングコング 髑髏島の巨神(2017)
- ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019)
僕はキングコングに思い入れがなくて、完全にスルーしてましたが、全作品が地続きの世界観となっています。
それでもキングコング単体の作品は、見る気になりませんが…。
勿論、来年のゴジラvsキングコングは見ますけどね。
で、今回はそんな傑作映画。【キング・オブ・モンスターズ】についての記事です。
※以下はネタバレ満載な為、これからゴジラを見るっていう見込みのある方は読まないで下さい。
※因みに女性も、以下のような温度差になる事必至なので推奨しません。
出典:ONE PIECE/70巻/93p
ゴジラVSキングギドラの二項対立
現在公開中の、キング・オブ・モンスターズっていう映画の本題は、王VS王っていう、最強同士がぶつかる対立構造を中心に展開されます。
それがつまり、ゴジラVSキングギドラ。
嬉しかったのは、やっぱり馴染み深い怪獣が、現代のハリウッドクオリティで再現されていた点です。
ゴジラを筆頭に、キングギドラ、モスラ、ラドン。と、名だたる怪獣達が世界中で暴れ回る訳です。
この辺の怪獣達は、ゴジラシリーズではレギュラーと言っても、過言ではない存在ですよね。
劇中では、MONARCH(モナーク)と呼ばれる巨大生物専門の特務研究機関が、世界中に眠る怪獣の居場所を突き止めて、その数を明らかにしていました。
なんとその数、17体だそうです。
僕はこれを聞いた時に、「おーまだそんなにいるのか!」とまだ見ぬ怪獣を予感して、わくわくしてしまいましたね。
映画の後半では、世界各地の怪獣が眠りから覚めます。
パッと見だと、既存の怪獣はクモンガかな?っていう怪獣が居たくらいで、それ以外はハリウッドオリジナルの怪獣が世界各地で暴れてましたね。なんか、マンモスみたいなヤツとか。
不思議に思ったのは、前作ゴジラ2014でゴジラと対峙した、ムートーみたいな怪獣が紛れてたんですよね。
それと、ラドンが王の前に、文字通りひれ伏すシーンがあるんですが、そこに関しては「擬人化し過ぎじゃない?」って思いました。
二重の意味を持つコピー【王の覚醒】
【王の覚醒】
このコピー、めっちゃカッコイイですよね。
このたった4文字に、怪獣への畏怖を感じさせる意味が詰まっています。
しかも【王の覚醒】という、仰々しいコピー相応に、威厳が溢れまくるゴジラへの期待値ね。
ゴジラだからこそ、許されるみたいなね。
さて、【キング・オブ・モンスターズ】というタイトルにもあるように、この映画のテーマの一つが【キング】です。
劇中、環境テロリスト、つまり人間の手によって、南極の氷塊の中に眠るモンスター0が、呼び起こされてしまうんですよ。
それに伴い、世界中に眠る怪獣達が覚醒し始める事になります。
モンスター0は、ゴジラに匹敵する程の強さを持っていて、モンスター0が復活した瞬間に、ゴジラが反応。
ゴジラとモンスター0が、海上で一戦を交える中、或るミサイルが二体の怪獣目掛けて飛んで来る事になります。
往年のゴジラファンであれば反応せざるを得ない単語。オキシジェン・デストロイヤーという名の爆弾です。
そして、人類によって海に落とされたオキシジェン・デストロイヤーの大爆発で、ゴジラのみが大ダメージを受ける事になってしまいます。
因みにモンスター0は何故か無傷。
この辺りで、モンスター0の再生能力を見た研究者によって、地球の摂理に反する事から、モンスター0のみが唯一、地球外から来た生物であると断定される。
そして全ての怪獣を従わせるように君臨する、モンスター0、もといキングギドラ。
そう、僕は正にこれが【キングオブモンスターズ】のタイトルにある【キング】であり、【王の覚醒】のキャッチコピーに当てて来た、真意なのかと思いました。
しかしながら、その結論は性急でした。
渡辺謙演じる芹沢博士の行為により、死にかけのゴジラは伊福部昭(敬称略)作曲の、あのテーマ曲のアレンジと共に海から復活します。
このシーンはマジでヤバい。曲の使い所が最高すぎる。
そのままゴジラは、タイマー付きの爆弾みたいになって、外来種である偽りの王の前に再び現れる。
【VSデストロイア】のバーニングゴジラの如く、赤い皮膚の状態で、怒りの放射熱線をぶっ放し、キングギドラを塵にする。
そしてラストシーンで、全ての怪獣がゴジラの前にひれ伏す事になるのです。
つまりこれは、地球の王座を巡る決戦だったのです。
そこで回収されるタイトル、キングオブモンスターズのキングであり、【王の覚醒】は怪獣王ゴジラの事だったって訳です。
ゴジラの足下で走る家族ドラマ
僕は、平成のゴジラシリーズから入ったので、確か最初に見たのが【ゴジラVSモスラ】だった気がします。1992年公開なので、当時は6歳くらいですね。
まだ一回入場しちゃえば、何回見てもいいっていう時代の、近所の小さい映画館でした。
子供の頃の自分からすれば、基本的に人間同士のドラマなんてどうでもよくて、巨大な怪獣VS巨大な怪獣の戦いが見たいだけだったんですよね。
大体平成ゴジラシリーズって、後半の最後の最後にゴジラが海から上陸して、敵対する怪獣と激突するっていう展開になります。
昔は、最初からそれだけでいいじゃんっていう、短絡的な見解でした。
ただ、今なら人間というスケール感と、怪獣というスケール感を対比させるには、人間ドラマはギミックとしては必要になる事は解ります。
それでも、ゴジラ【キング・オブ・モンスターズ】の素晴らしい点は、怪獣バトルのオンパレードなところです。
人間の観点は最低限に、疲れるくらいに怪獣に次ぐ怪獣の戦闘シーンが満載でございます。
なんてったって、ゴジラVSキングギドラの交戦が3回もありますからね。
そして、ゴジラVSキングギドラの足元で、同時にメインとして走ってる人間側のドラマが、或る家族の話です。
前作の、ゴジラVSムートーの激突に伴う被害で、息子を失った家族がいたんですよ。
父と母と、その娘。そして亡くなった弟。
この辺は、我が家の家計図と一致します。
しかもこの時、僕は妻との冷戦のような状況の中、逃げ込むようにして、ゴジラ【キング・オブ・モンスターズ】のチケットを購入し、劇場に足を運んだので、偶然にも家族ドラマが妙に胸に響く部分が結構ありました。
例えば、バキバキになった家族写真を見詰める娘の姿とか、フォーチュンクッキーの箱に書いてあったとかいう、芹沢のセリフとかね。
で、やっぱりこの時重ねてしまうのが、誘拐された娘を、何がなんでも救おうとするお父さん側の立場ですよ。
キーパーソンとなるラッセル一家が、キングギドラの登場と攻撃によって、ピンチに陥るシーンが2回くらいあります。
「うわ!やべぇ!死ぬ!」ってタイミングで、横からゴジラが突っ込んできて助かるんです。
所謂、ピンチになった時に、ヒーローが都合よく助けに来てくれる。みたいな、お約束のシーンです。
勿論、ゴジラが人間を助けに来た訳ではなくて、結果的に人間が助かっちゃっただけなんですよね。そこの見せ方が良い。
飽くまで怪獣の引き起こした大きな渦の足元で、人間が偶然助かったり死んだりしてるだけ。
巨大なエネルギーが引き起こした衝突によって、偶然を前提にしてドラマを描くっていう手法が、怪獣の荘厳さを引き立たせています。
自然の一部として、地球の怒りの象徴として、地球の免疫機能として、ゴジラは覚醒します。
「人間は病原体だ」と言い放つ、モナークの科学者、エマ・ラッセルの言うように、2014年のゴジラVSムートーの激闘の舞台となったサンフランシスコの瓦礫上に、異常な速度で、草木や花が咲き乱れてる。
つまり、ゴジラは地球の調律者として描かれているんですよね。
ゴジラからすれば、地球を脅かす存在は、ぶっ潰すのみ。
それは相手がキングギドラだろうと、人類だろうと変わらないのです。
結果的に人間を救いもし、命をも奪う存在。それがゴジラ。
結局最後、あの家族はどうなったのかよくわからないまま終わるのも、人間ドラマが飽くまで付属品だって主張してるようで、却って良かったと思います。
因みに、冒頭の、環境テロリストのモナーク襲撃のシーンは、映画に死の気配と、緊張感を引き起こす為には、必要な装置だと思います。
個人的に上手いなーと思ったのは、モスラの卵を研究するモナークの基地を舞台に、テロリストのアラン・ジョナが、モナークの研究員の頭を銃で吹き飛ばすシーンです。
ガラス越しのカットなんですが、モスラの位置から見たガラスの奥で、環境テロリストが突然の銃乱射で乗り込んできて、みんな殺されていきます。
最後に残った研究員が、抵抗をしない意思表示として手を上げた瞬間、アラン・ジョナに撃たれます。
同時にガラスに弾痕が残って、頭の位置にヒビの入ったガラスと倒れ込む研究員の動作で、間接的に研究員が死んだ事を描写していたところです。
これはシャレードと言われる手法なんですが、話が逸れてしまうので興味のある方は調べてみて下さい。
【キング・オブ・モンスターズ】で暴れる怪獣達のディティール
劇中に登場する怪獣達は、架空の生物っていうよりは、世界中に散在する生物の延長上として、存在している事を感じさせるようなディティールなんですよ。
重量感を持ちつつも、攻撃に入る時の俊敏な動きが、生々しい。
ラドンのアクロバティックな動きと、繊細な足遣いも、スピード感があって迫力があった。
キングギドラは首が3つあるが故に、首同士で、ちょっとした小競り合いみたいな様子も見られました。それぞれの首の関係性みたいなものが表現されていて、面白かったな。
日本のゴジラシリーズのオマージュと思われるシーンが、幾つかありましたしね。
その点、平成ゴジラシーリーズの最後の作品となったファイナルウォーズは酷かったですね。
ただ速いだけ。
巨大な生物であるっていう、重量感が蔑ろにされていました。
後は、何と言っても、怪獣達が放つ光の美しさです。
ゴジラのブルーと、キングギドラのイエロー。この光のコントラストが綺麗だった。
デザイン的にも、青と黄色は正に、補色関係にありますからね。
ゴジラもキングギドラも、口から光線を出しますが、この時の光の動きと音は、なんとも言えない緊張感を演出しています。
ヴォンヴォンヴォン……!!ドガー!!!みたいな。
ゴジラは背びれの光と連動していて、キングギドラは長い首の喉の光と連動しています。
溜めの部分で、「あ、来る」ってのが解る感じが、カッコイイですよね。
それと、キングギドラに関しては、飛翔の際に、一つの巨大な台風みたいになって空中を移動するんですよ。
ラピュタの【竜の巣】かよ!って程の雷雲の渦で、実際ラドンがその中に入っていくんですけど、雲に入った瞬間大雨に見舞われて、中心にいるキングギドラと激突するっていうシーンがあるんですが、見せ方が面白かったですねー。
なんかもう
中心にキングギドラがいるとしか思えない https://t.co/oLVv77tyx6
— みきお (@mikio_96) October 12, 2019
エンドロールの後に続編への意思表示
エンドロールが流れた瞬間に席を立ち始めるおっさん達。残念でした。
最後の最後に、不敵な笑みを浮かべる環境テロリストのアラン・ジョナが現れます。
ゴジラがぶった切った、ハエのたかるキングギドラの首を回収した漁師みたいな人を前に、闇取引みたいな事をしていて、「買おうか」と言って終わるんですよ。
え?もしかしてメカキングギドラですか?みたいな。
続編に、仄かな期待を残す訳です。
あれが何を意味するのかは、色んな解釈ができて面白いですよね。
モンスターバースシリーズ、今後も目を離せません。