子育て中の散らかった部屋は毎回【シーシュポスの岩】と化す
人間は、【穴掘って、また埋める】みたいな、意味の無い単純労働を繰り返すと、発狂して死ぬんだとか。
或いは、死に至らないまでも、なんらかの精神疾患を引き起こすようです。
いや、ドストエフスキーの小説にそんな話が出て来るんですよ。
ドストエフスキーってのは、髭ボーボーの小説家なんですけど、ペトラシェフスキー事件に関わっていた事から、ロシア政府に逮捕され、シベリアに約4年間流刑された経験があります。
従って、小説とはいえ、【死の家の記録】は、ドストエフスキー自身の獄中体験記なんですよね。
従って、ソースは事実に基づいているようです。
負の世界遺産とされている、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の記録にも、【穴掘り】の話はあります。
ユダヤ人の大虐殺、ホロコーストですね。
ヒトラーはナショナリズムによって、「ドイツ人以外は敵だ!」みたいなノリで、ドイツ人をまとめようとました。
アメリカのトランプ大統領が言う、【アメリカ・ファースト】みたいなイメージです。
その犠牲となったのが、ユダヤ人です。
そこで、先述したような穴掘って埋めるみたいな無意味な労働をさせられた訳です。
つまり、何が言いたいかっていうと、「それさっきやったじゃん」みたいな事の繰り返しって、怒りとか、脱力とか、虚無感とか、あんまり前向きな感情を呼んでくれないよなって話。
で、介護とか子育てって、それの連続だと思うんですよね。
参照記事:【体験談】訪問入浴の仕事で大変だったところを3つ挙げてみる
ギリシャ神話の無益な拷問の象徴
ギリシャ神話でシーシュポスっていう人物が登場します。
シーシュポスは、ギリシャ神話上で最も狡猾な人間とされています。
ゼウスを欺いたり、死神のタナトスを騙して縛り上げちゃったりと、おイタが過ぎて、神々の怒りを買ったシーシュポスは、先端の尖った山のてっぺんに、岩を置くっていう罰を受ける事となったんですよ。
ところが、山頂に岩を運び切ったところで、岩を置けるような山頂になってないもんだから、結局岩は転がり落ちてしまう。
そうやって、シーシュポスは何度も何度も岩を山頂に運ぶ訳です。これがシーシュポスの岩です。
或いは、穴の開いた壺に、水汲みをし続けなければならないダオナスの娘達ってのもあります。
実は日本にも、【賽の河原】と言って、徒労の象徴としての神話があります。
親より先に死んだ子供がいく場所があるんですけど、それが、あの世とこの世のハザマにある、三途の河原のほとりです。
そこでは或る塔を完成させるべく、子供達が石を積み上げ続けます。
でも完成する前に鬼が来て、積み上げた石をぶっ壊す。これの無限ループ。
怖ぇよ、【賽の河原】の世界観。
約4000年も前の古代ギリシャ時代から、拷問の本質は、死ぬまで終わらない、無益な労働なんですね。
幼児の無軌道なハートの周囲に転がる大人の徒労
これを子育てに置き換えてみると、幼児が家庭に居る親も、結構シーシュポスってます。
収めても収めても、直ぐに床に散乱する絵本やオモチャ。
カオス!カオス!カオス!いつまでたってもカオス!
例えば、あなたが頑張って、積み木をきれいに積み上げたとします。
それを一瞬で、全部バラバラにぶっ壊されました。
どんな気持ちになりますか?
虚無じゃないですか?
しょうがないので、もう一度積み木を積み上げます。
でも結局、その直後にぶっ壊されます。
飛び散る積み木が視界に入りながら、次第に全部がどうでもよくなってくる。
これの繰り返し。繰り返し。繰り返し。
いや、他者への献身無くして、なかなかこの繰り返しはできないですよ。
徒労の反復に耐える親の反骨精神は最早パンクロック
子供は、積極的にエントロピー増大に加担する生き物なので、最早エントロピーそのものだろ!と思っています。
何故なら、子供ってのは片付けるのはつまらないけれど、散らかすのは面白い。という性質を露骨に持っているからです。
これは別に、大人も変わりはないのだろうけど、大人がそれをしないのは、後々片付けなきゃならないっていう、後先を想定してしまうからですよね。
だから散らかさない。後が面倒だし。
子供はそこまで考えない。楽しいからやる。それだけ。
片付け、整理整頓ってのは、エントロピーに逆らうって事です。最早パンクな行為です。
全ての幼児を持つ親は、シーシュポスであると同時に、パンクロッカーなんですよね。
つまり、何が言いたいかっていうと、介護も然り、子育ても然り、シーシュポスの岩化してる状況の中を、腐らずに続けようとしているあなたは、カッコイイぜって話。
だって別に、辞めたっていい訳ですからね。
それでもやるんだから、どんな理由であれ、やっぱりそれは凄い事です。