シンプルとは何か?デザインとの相関を考察【必要最小限編】
デザイン。コーディング。情報伝達としての論理。全てに於いて親和性が高いのがシンプリシティな思想です。
そう、シンプルにする事。
この概念。伝える。と云う局面に於いて、不可欠なファクターの1つとして、深く関わって来ます。
何故なら、デザインは人に伝える技術であり、コーディングは機械に伝える技術だからです。そして論理は、それら技術を根底から支える役割を果たしています。
人によって、シンプルと云う言葉に対する認識は、大きく2つに分かれると思っています。
1つ目はeasy(簡単)。2つ目はsophistication(洗練)です。
この場合、広義のシンプルはeasyで、狭義のシンプルは、sophisticationの方に該当すると仮定しています。
今記事ではこの、easyとsophisticationの違いにフォーカスを当てて、見解を展開してみます。
※記事を纏めていたら想定外に長くなってしまったので、幾つかの記事に分けますね。(シンプルの記事なのに全然シンプルじゃないのは、僕がまだまだ無粋だからです)
Simple is best
先ず此処では、主にデザインやプログラミングの世界で扱われているシンプル原則を、3つ並べてみます。
KISS原則
デザインの世界にも、プログラムの世界にもKISS原則なるものがあります。
勿論、コープス・ペイント(顔を白と黒に塗る化粧)の、あのバンドの事でも、キテレツ大百科の、あの曲のテーマになってる、その事でもありません。
これは、Keep It Simple. Stupid!(シンプルにしとけよ!この間抜けが!)と云う、頭字語です。
ちょっとキレ気味にしたのは、僕の誇張です。
元々は、ロッキード社の航空機設計家であるケリー・ジョンソンが、Keep It Short and Simple(簡潔に単純にしておけ)と提唱したものだったらしいのですが、経時的に前者の方が一般化したようです。
多分「Stupid!」の方が、人間臭くて、響きとして好ましいのかも知れません。
オッカムの剃刀
14世紀の哲学者であり神学者のオッカムが提唱したのが、オッカムの剃刀です。
これは同じ内容の事を解説するならば、単純な理論の方がよいとする方法論の事です。(不要な要素は削ぎ落とす事を意味する、比喩としてのカミソリ)
一見複雑に見える事柄でも、複雑さを引き起こしている枝葉末節を、剃刀で切り落とす事で、単純な原理で説明できる。というもの。
これって、やってる事は抽象化に近しい事なのかなと思います。一元化するような。
アインシュタインが証明した、特殊相対性理論の公式E=mc2も、正にそんなニュアンスなんじゃないでしょうか。僕には何やら全く意味が解りませんが。
認知負荷を減らす
では何故、KISS原則やオッカムの剃刀的な思想を要するのか。
これは、人間の情報処理能力には限界があるからです。例えば、記憶。
人間の脳の構造について言うと、脳には一時的な記憶を保管する「海馬」と呼ばれる特殊な部位があります。そこに「なぜ今この場所にいるか」といった情報が保管されており、思い出せるのです。
もし、海馬が無ければ、20秒以上物事を覚えていられません。
Facebook人工知能研究所 所長 ヤン・ルカン
所謂ワーキングメモリの事です。上記にあるように、人間が短期記憶として海馬に保持出来る20秒前後の内に、90%の情報が忘れ去られます。
それを越えたとしても、数字であれば約7つ、文字は約6つ、単語は約5つ。と云う限度があります。
アメリカの認知心理学者ジョージ・ミラーが1956年に提唱したマジカルナンバー7±2は有名ですが、ネルソン・コウワンによって2001年に4±1に書き換えられています。従って、現在の定説は、マジカルナンバー4±1です。
いずれにしろ、アレもコレもと伝えたところで、認知心理学的には相手の記憶には残らないのです。
多くて5つまでに纏めた方が、相手には伝わり易くなる訳です。
そう考えると、僕は3こそがマジカルナンバーなんじゃないかと思いますね。日本三大〇〇なんて言い回しは、よく聞きますし。
寸鉄人を刺すと云う諺もあるように、研ぎ澄まされた一言やコピーは、ダイレクトに届いて心を動かしたり、イメージを走らせ、余韻を残します。
ある意味、汎用性が高いと言いましょうか。意図的に想像の余地が残されている事で、人それぞれの解釈やストーリーが立ち現れるのです。
歌詞も、抽象性の高い歌詞の方が包容力も高いですよね。
ミッフィーの生みの親であるディック・ブルーナは、こう言ってます。
ぼくがシンプルさを追い求めるのは、デザイン的な美しさということだけでなく、そこにイマジネーションの余地を残したいからなのです。
ディック・ブルーナ
適切に相手に伝える為にも、適用できる内は何度でも剃刀で削れ。って事ですね。
YAGNI
これも、You Ain’t Gonna Need Itの頭字語です。
意味は「それはきっと必要にならない」です。
後で使うだろう。という予測の元に作った的外れな機能は、実際には10%程度しか使われない。従って、それに費やした時間の90%は無駄になる。というもの。
つまり、必要なものは必要になったときに書けば良いんだよ。と。「いつかこれが必要になりそうだな」と云う動機でコードを書くなよ。と。そんな戒めですね。
More is betterな人間
さて、KISS原則やオッカムの剃刀やYAGNIが何を懸念し、何を見据えていたか。それは、フィーチャークリープ(機能の増殖)の存在です。
フィーチャークリープとは、クオリティを追求するあまりに、エンドレスの機能追加に陥る事を指します。つまり、過分な状態にしてしまう事です。
このフィーチャークリープ、巨大な軍艦をも沈める被害を齎すのです。
1628年8月10日。天候は良好。スウェーデン王国最盛期に、国の権威の象徴として新造された、戦艦ヴァーサ号は、ストックホルム港から処女航海へ出航しました。
ところが、1マイルも航行することなく横風で転覆し、開いていた砲門から海水が船体へ流れ込み、沈没。
結局、宿敵ポーランドとの戦闘を目的として造船されたのに、戦いで活躍する事も無く、ただ風に吹かれて沈む。と云う残念な最期を迎えました。
そもそもこの船、安定性のテストの段階で、既に転覆する事に気付いていたそうです。
しかし、ヴァーサ朝第6代国王であるグスタフ2世アドルフは、「この船を世界最強の戦艦にしたい」と云う思惑がありました。
その為、造船技師、彫刻家、大工、建築家、画家、鍛冶屋等、当時のあらゆる技術を駆使して造船された上に、ヨーロッパ最強の大砲を装備するようにと、国王が造船技師へ強い圧力を掛けていた。と云う背景があります。
そして、ヴァーサ号の設計者であるヒベルツゾンが、ヴァーサ号の完成1年前に他界した事も、沈没の要因です。
国王の無理な注文による設計変更により、予定していなかった艤装や装飾が加えられたのです。その結果、船は不安定な状態となり、あえなく沈没。
つまり、ヴァーサ号の造船は、技術的にも設計的にもバランスが悪かったのです。
人間の欲は止め処無いもので、More is better(多ければ多い程良い)な発想になりがちです。
ロンドンの風刺作家、スティーブ・カッツの作品「MAN」には、それが端的に描かれていますね。エッジの効いたブラックユーモアなメタ表現。
技法スタイルのポップなグロさが、ねこぢる草を彷彿とさせます。
これは、かなり戦慄的な側面にフォーカスしまくってますが、やってる事は事実です。ノンフィクション。
放っといたら、世界が灰になるまで消費するのが人間です。そしてゴミの量産。僕も直接的でなくとも、間接的にこれに加担している人間の一人な訳です。
手当たり次第に、目先の欲望(利益)を追求するとこうなるよねー。そんな攻撃的な自嘲。
Less is moreな意思決定
場当たり的に欲望を走らせたら、More is better(多ければ多い程良い)な発想で生活を埋め尽くす性質を持つ人間に対し、これに異を唱えるような位置にある思想があります。
近代建築の三大巨匠の1人であり、バウハウスの第3代校長を務めた、ミース・ファン・デル・ローエの言うLess is more.(より少ないことは、より豊かなこと)です。
最初にこれを知った時、意味がよくわかりませんでした。「より多い方が、より豊かなんじゃないの?」と短絡的に思ったからです。
何故、より少ない方がいいのでしょうか。
では、何かを少なくする事で、よりよくなる事とは何でしょうか。
つまり、減らす事で増えるものは何か。と云う事を考えてみましょう。
例えば、何気なく見てしまうものの典型がTVですよね。今の時代で言えばスマホです。
これは、意識的に見ないぞ。と決めなければ、貴重なリソースをなんとなく見ると云う時間に費やしてしまいます。これらは目的が無い場合、極めて受動的な行為です。
それ位にTVやスマホの画面は、生活に馴染んでいて、中毒性も高い。
ネット上の情報は膨大です。しかし、その大半が自分にとって実は必要の無いものだったりします。でも何故かのめり込んでしまう。
これは、至る所に扇動的なトリガーが仕掛けられていて、それら全てが意識を誘導し、何かを売り込んでくるからです。
つまり、消費する態度で居る限り、どうでもいい娯楽に消費されてしまうんですよね。(このブログですらそうです)
じゃあこれを全部辞めて、自分にとって本質的な事だけに、自分の全てのリソースを注ぐ事が出来たらどうでしょうか。
それこそが、自分にとっての豊かさに繋がるのではないでしょうか。
何かをやりたいなら、何かをやらない事を、能動的に選ばなければなりません。
つまり、決めるか、決めないか。の問題なんですよね。自分で決めないと、誰かにリソースをなんとなく持ってかれてしまう。なんて状況は、往々にして有り得るのです。
本質を目指す意思決定が出来れば、不要なフィーチャークリープの発生を、未然に防ぐ事に繋がる筈です。
その為には、判断基準や行動理念が明確である必要がある。それが、KISS原則やオッカムの剃刀やYAGNIが目指す、シンプルさなのではないでしょうか。
「Stupid!」な人にならない為にも、先ずは勇気を持って、捨てる事を決めましょう。
ふやけた煙草吸いながら 死にたい気分だとか電話の向こう
金ない 時間ない 休みとれない ここを動けないの
何を手に入れるかは後でもいいんだ 何を捨てられるのかって話
行っちゃうか遠くイエローナイフ がどこだか地図で探すサンデー
出典:オーロラソング
a flood of circle 佐々木亮介