もう子供に怒りたくないと思ったら読む本【親業】に学ぶ共感のメカニズム
毎日100のフラストレーションに苛まれてる親の心理
親子の関係に、悩みは尽きませんね。
例えば、幼児を相手にしている時の親の心理を挙げるてみと↓
- 子供が食事の時に、飲食物や食器で遊びだす時のフラストレーション
- それに伴って、毎回ぐっちゃぐちゃになる床を片付けてる時のフラストレーション
- 部屋に落ちてる、米粒を踏んだ時のフラストレーション
- 朝起きて、保育園・幼稚園に行くまでの準備や着替えが、全然進まない時のフラストレーション
- 作った弁当を、子供にひっくり返された時のフラストレーション
- 子供に毎回同じ事を言っても、一向に行動しない状態が続くフラストレーション
- 子供がおもちゃ箱をひっくり返して、放置したままの部屋を見た時のフラストレーション
- 外出から帰宅した時にら靴のまま部屋に入ろうとするのを止めても入ってった時のフラストレーション
なんかもう、曲が一曲かけそうですよね。「聴いてください、【1/3の純情なフラストレーション】」みたいなね。
「 my heart〜♪」みたいなね。
親という役割を担うと、慣れない内は、そんなフラストレーションの連続に翻弄される日々でもあります。
で、子供に怒ったら怒ったで芽生える、自分自身に対する罪の意識……。
こんな感じで、親をやってると、精神を削る出来事が次から次へと襲い来る訳です。
勿論、同様に、強制的に笑顔にさせられてしまうような喜びってのも、次々と訪れるんですけどね。
「どうにかなんないもんかねー」と。漠然とした悩みを抱えつつ、僕はこの本に行き着きました。
本のタイトルは【親業】
英語だと、P.E.T.(Parent Effectiveness Training)
臨床心理士であり、教師学講座、指導者効果訓練等、訓練の専門家でもある人、トマス・ゴードンが執筆した本です。
今から21年前に発売されたものなので、古いです。
古いんですが、そこらへんの内容の薄い新刊を読むくらいなら、この本を読んだ方がいいですよ。
親業=何も出来ない小さな人間の健康に全責任を負う仕事
「親は素人である」って話が、この【親業】の冒頭には記されています。
トマス・ゴードンは言います。
世間には様々な技能訓練、管理者訓練、社員訓練があり、各種のセミナーや講座、数限り無い訓練の場があるというのに、1日24時間労働の親業の為の訓練の場はまったくと言っていい程無かった。
出典:親業/トマス・ゴードン/pII
大袈裟に言えば、親という仕事を請け負った途端。
いきなり丸腰で、子育てという名の戦場に送り込まれるような。
映画オール・ユー・ニード・イズ・キルの、トムクルーズ的な心境とでも言いましょうか。
勿論、そんな世界に突入する事を勝手に望んだのは、親自身なんですけどね。
それはいいんですよ。フラストレーションがどうとか、そんな事はいいんです。
問題なのは、どうすれば【子供に怒る】っていうカードを、切らずに済むかって話で。
解んないんですよね。親子共に、納得できる最適解ってのが。
で、この本を読んで解ったのは、子供の行動を全て受け入れられる親なんて、存在しないって事です。
ちょっと、肩の荷が降りるような気持ちになりますね。
親も人間ですから、子供の行動を受容出来る領域と、受容出来ない領域ってのが、親の感情領域の中にはあります。
以下の図を見てみて下さい。
出典:親業/トマス・ゴードン/20p
【受容】と【非受容】を分かつ中心線がありますよね。
そして、受容領域の境界には当然、個人差がります。
この分割線の位置は、親自身の内部要因にも依存するし、父の立場、母の立場、その日の状況、状態によっても上下します。
つまり、受容領域のラインってのは、常に固定しません。
これって、子供以外の大人、他人に対する自分の態度を思い浮かべれば、簡単に解る話だったりしますね。
あなたも、相手によって、受容出来る領域って変わりませんか?
自分の立場を超えて、海賊の赤髪に対し、「お前ならいい」って言ってみせた、海軍のセンゴクみたいに。
出典:ONE PIECE 59巻 / 128p
出典:ONE PIECE 59巻 / 129p
これが親子関係にも起きるって事です。
自分の子供だからって、全てを受容出来る訳ではない。これが先ず前提にある。それが解った。
親は子供に対するプレーンな【受容領域】と【非受容領域】を受容すべし
先程の図にあるように、子供の行動に対する親の受容領域があるとして、受容と非受容を分かつラインが、上の方に来たり、下の方に来たりと、常に移ろいます。
中には、子供の行動の多くを受容するフリで、子供に接する親も居るそうですが、分割線が完全に下に来る親なんて居ません。
それは親としての役割を努めようとしてるだけであって、トマス・ゴードンから言わせれば、【偽りの受容】でしかないって話です。
しかも、その【偽りの受容】が子供に及ぼす弊害ってのが、始末に負えないものでして。
そういう親は往々にして、子供に【混合メッセージ】を送ってしまうんですよ。
【混合メッセージ】って何か?っていうと、言葉では優しい、受容的なメッセージを送っときながら、内心の非受容的な態度を垂れ流してしまう事です。意識的か、無意識的かに限らず。
そうすると子供は身動きが取れなくなって、次第に親に対する不信感を抱き始めるんですね。
親子関係のように、緊密で長く続く関係下では、本当の感情を隠す事なんて無理なんですよ。
ついには、親との間にカーテンを引いた子供は、内部で何が起こっているのかを、親に教える事を拒絶する訳です。
子供にとっては、このタイプの親が最もやりづらいそうです。
この記事を読んでくれている、あなたにも、もしかしたら心当たりがあるのかもしれませんね。
子供の頃の自分が、親に抱いた嫌悪感とか。
僕は、カーテンを引く感覚ってのは、間違いなくあったのを憶えています。
親が言動に一貫性を欠くって事が、子供にとって、延いては生物にとって、どれだけの悪影響を及ぼすかって事を、示唆する実験があります。
動物の行動を変えるのに、賞罰を一貫性なしに使うと有害な影響が出てくる事は、多くの実験結果に出ている。
その一例が心理学者、ノーマン・マイヤーの古典的実験である。
マイヤーは、ネズミが台から跳んで前の扉を押す実験をした。
四角形が書いてある扉を押せば、扉が開いて賞として食べ物が獲得でき、三角形が書いてある扉を押せば罰を受け、扉を開かず、泉谷花の家、しかも扉のかなり下の方にはネットに落ちるようにした。
これでネズミの四角形と三角形の区別を教えたわけで、簡単な条件付けの実験である。
次にマイヤーは、賞罰を一貫性なしに与えてみた。四角形の扉に食べ物があることもあれば、同じ四角形の扉でも開かず、ネズミをしてもらったらしたりした。
多くの親がするように、米谷の正月の与え方に一貫性がなかったわけだ。どんな影響を与えたか?
ネズミはノイローゼになってしまった。
その他、皮膚障害を起こすもの、緊張状態になるもの、狂乱して目的もなくカゴの周りを走り回るもの、他のネズミとの交流を拒絶するもの、食べなくなるもの、など。
マイヤーは一貫性を欠くことでネズミに「実験室神経症」を起こしたのだ。
出典:親業/トマス・ゴードン/171p
この実験から解る事は、言動のブレまくってる親の元に育った子供は、なんらかの精神疾患に苛まれる可能性が高くなるって事ですよね。
つまり、自分の受容できる範囲を無理に広げようとする事は、却って人間関係を悪化させてしまうって事を、親は理解すべきなんですよね。
ギャン泣き時にびっくりする程の効果があった【アクティブリスニング】
子供が傷ついたり、激しく泣き叫ぶ時ってありますよね。
トマス・ゴードンが言うには、アクティブリスニング(能動的な聞き方)を通じて、自分が如何に悲しいか、恐れているかってのを、親が理解していると子供が確信すれば、即座に泣き叫ぶのを辞めるって事なんですが。これはマジです。
このアクティブリスニングの破壊力を示す事例が、以下のものです。
親業の訓練でH氏(父親)は次のように話をした。
ミッシェルは三歳半の娘ですが、母親がスーパーマーケットで買い物をしている間、私と自動車の中で待っていましたら、ぐずぐず言い始めました。
「お母さんがいいよ」と10回くらい繰り返して言い続け、私がお母さんはすぐに帰ってくるんだから、とそのたびにいってやっても聞きませんでした。
それから「私の人形ちゃんが欲しい」「お人形ちゃんが欲しいヨー」と大声で泣くんです。
そこで私もいろいろやっていましたが、娘をなだめられませんでした。
そのときアクティブリスニング(能動的な聞き方)を思いつきました。
もう絶望的な気持ちで、お母さんがいなくなっちゃうと寂しいんだねといいますと、娘はうなずきました。
お母さんがお前を連れて行かないで一人で行くのが嫌なんだろう。彼女はまた首を縦に振りました。
それでもまだ必死にいつも離さない〈魔法の毛布〉を手にもって、おびえきった迷子の子猫みたいに車のバックシートの隅に小さくなっていました。
私は続けました。お母さんがいなくなって淋しいとき、お人形ちゃんが欲しくなるんだね。激しくうなずきます。
でもお人形ちゃんここにはいないし、お母さんもいないから淋しいんだね。
すると、本当に魔法にでもかかったかのように、彼女はシートの隅の方から動き出し、毛布を下において泣き止み、私のフロントシートのほうにゴソゴソやってきて、そこの駐車場にいる人のことなどについて、楽しそうに私と話し始めたのです。
出典:親業/トマス・ゴードン/p83.84
僕もやってみてびっくりしたんですが、子供がギャン泣きしてる時にね、「哀しかったね」って言うだけですよ。
それだけで、一瞬止まって、頷くんですよ。また泣くんですけど。
その時、「あぁこういう事か」って、なんとなく見えた感じがしました。
泣いたら先ず、抱きかかえるのはいつも通りなんです。
で、大体、他の事に気を逸らすように意識を向けるってのが、今までの僕の、常套手段だった訳です。
でもそうじゃなくて、子供が必要としているのは、共感だったって事を理解しました。
慰めるとか、脅すといった反応は、子供にとってズレてるフィードバックって事になります。
子供は自分の感情を理解してもらう事を必要としてる
子供はただ、自分が感じているそのままの感情を受容してほしいだけ。
アクティブリスニングで注意すべきなのは、単なるオウム返しになってはいけない、という点です。
子供の選んだ言葉(記号)を反復するだけでは、適切なフィードバックになっていません。
つまり、子供のメッセージは、記号ではないという事です。
アクティブリスニングで必要な事は、親がその記号を解読する事なんですね。
子供は、親が自分の気持ちを理解してくれたと解った後には、自分の行動を変える事が多いようです。
この辺の具体例は、【親業】本書に、多分に詰め込まれていますので、興味のある方は是非。
親が子供に返す12のフィードバック
親子間の破壊的なコミュニケーションは、12の型に分類できます。
大体の人が、このいずれかの型を使って、子供へのフィードバックを返している筈です。
1:命令、指示
子供に何かをするように(しないように)言う命令する
(例)「他の親が何をしようが関係ない。庭掃除をお前がやるんだ」
2:注意、脅迫
子供にあることをすればどんな結果になるかを言う。
(例)「もう一度そんなことを言ってごらん、もうこの部屋で遊ばせないよ」
3:訓戒、説教
子供に何をすべきか、しなければならないかを言う。
(例)「これをやるべきだ」
4:忠告、解決策などを提案
子供に、どうしたら問題が解決できるか、助言、提案を与える。子供に代わって答えや解決策を出してやる。
(例)「それは担任の先生に相談してみたらどうかしら」
5:講義、論理の展開
事実、情報、論理、親自身の意見なので、子供の判断に影響与えようとする。
(例)「子供の時に家庭で責任を持って何かやっていれば音になってからも責任を果たせる人になるんだよ」
6:批判、非難
子供に対し否定的判断、評価を下す。
(例)「それは未熟な考え方だ」
7:称賛、同意
肯定的評価、判断を示す。同意する。
(例)「お前はできる能力を持っている」
8:悪口を言う、馬鹿にする、辱める
(例)「わかったわよ、小さなbaby」
9:分析、診断
子供に対して子供自身の動機は何かを解説する。あるいはどうして子供がその言動をするか、原因を分析する。子供の気持ちがわかっていること。または、子供の診断を済ませたことを伝える。
(例)「私の邪魔をしようと思ってそういうのね」
10:激励、同情
子供の気持ちを良くしようとする。子供今の気持ちから抜け出せようとする。子供の今の感情忘れ物ではないと否定する。
(例)「お前の能力からすれば、優秀な大学生になれると思うけど」
11:質問、尋問
原因、動機、理由を知ろうとする。親が自分で問題を解決するのに役立つ情報を子供から得ようとする。
(例)「どうして自分は学校が嫌いだと思うのかな」
12:中止、注意をほかへそらす
問題から子供をそらそうとする。親自身が問題から逃げる。子供の注意を外にそらす。冗談に紛らわせる。
(例)「まぁいいじゃないか。もっと楽しいことを話そうよ」
【第三法】親と子供とで勝ち負けのない解決策がある
12の型で言えば、僕は割と1、2、11を使ってる事が多いですね。
これらのフィードバックを使ってると、親が子供に助力していく為の機会を失ってしまいます。
つまり、子供自身が建設的な問題解決をするチャンスを、親が削っちまうって事です。
じゃあどうすんの?って話なんですが。
親子間の意見の対立って、大概、【(子供に)勝つか負けるかしか無い】っていう思い込みがあるんですよ。
先ずは、それを知る必要があります。
【親業】では、勝利型を【第一法】、敗者型を【第二法】と定義しています。
以下の図を見てみて下さい。
出典:親業/トマス・ゴードン/67p
この図は、問題を所有しているのが、親か、子供かを明らかにしたものです。
上から順に、問題の所有者を3つの階層に分けています。
- 子供が問題を持つ
- 問題なし
- 親が問題を持つ
【第一法】を使えば、子供が問題を所有したままになるし、【第二法】を使えば親が問題を所有したままになる。
つまり、3つ目の解決策とは、その真ん中を目指すって事です。
これは、両者が問題を所有するって事でもありますね。
誰も負けなくていい。謂わば、【Win-Winな関係】を目指す。
それが【第三法】な訳です。
これって、ビジネスの観点からすれば、当たり前のように使われている手法です。
所謂、コンセンサスを取るってヤツですよね。
「際限なくおれ達の力を信じてやがるから…」byウソップ
第三法の何が良いかって、子供が参加してるっていう点なんですよね。
誰だって、他人に強制された事よりも、自分で決めた事の方が、実行する気持ちになりますから。
例えば、夕食の時に娘が見るテレビがうるさいっていう問題があったとします。
親子が対立した末に、第一法でもなく、第二法でもなく、第三法を使ってみました。
そこで出てきた娘の解決策が、「画面を見てるだけで面白いから、音がなくてもいい」っていう、想定外の解決策を提案してきたって話です。
こんな風に、思いもよらぬソリューションに行き着くのが第三法のメリットです。
しかも子供自身が決めた事なので、解決策に責任感を持つ事もできます。
とは言え、この方法って難しいと思います。何故なら、親の交渉術に依存するからです。
持ち掛けが上手くない親は、話を前に進められないです。僕みたいに。
頭の悪い親は、【第一法】に頼りがちって事ですね。僕みたいに。
それこそ訓練って訳ですね。一緒に考えましょう。
第三法は子供の言い分を認める事で、親が子供を信頼している事がハッキリと態度に出ます。
自分は信頼されていると感じると、子供もその信頼に値する行動を取ろうとする。
これって、別に親子関係に限らず適用される効果ですよね。
これが顕著に明示されている漫画があります。
はい。お馴染み、ONE PIECEです。
出典:ONE PIECE 70巻 / 24p
出典:ONE PIECE 70巻 / 25p
親がやる事って、これですよね。
僕が妻に言われて1番嬉しかった言葉は、「何してもいいよ」って言葉でした。
これは、漫画家になりたい事を、初めて打ち明けた時に、言われたものでした。
これ程に受容的な言葉は、聞いた事がありませんでた。
同時に、それからの行動に、自分に、責任を感じる言葉でした。
受容とは、小さな種子の中の美しい花となる可能性を育てる、肥えた土壌のようなものである。
しかし土壌は、種子が花になるのを「助ける」ものでしかない。
種子が生育する可能性を目に見えるようにする事はできるが、その可能性自体は種子の内部に存在する。
出典:親業/トマス・ゴードン/36p
結婚してからは、「余計な事をするな!」って、言われまくってますけどね!!!
この本を読んだからって、うまく行く訳ではないですよ。
でも、正しい知識を持つって事は、正しい答えを導き出す為の前提になり得る。
問題は、親が、【親業】の知識を、どう運用するかって話です。