速く考える為には【頭の中で考えない】事が重要となる
おはようございます。mikioです。どうも。
質問したら、「自分で考えろ」って言われた事ありますか?
いや、確かに、Googleで調べればわかるような事を聞くのは、相手の時間を、蔑ろにしてる事にもなり得ます。
そりゃあ、「自分で考えろ」って言いますよね。
何故なら、考えなくても、調べたら答えはあるから。
つまり、別にその人が答える必要性は無いって事ですよね。
そもそも、「自分で考えろ」って言う側の心理って、2通りあるなぁとか思います。
- 自分自身で試行錯誤して欲しいから、敢えて、そう言ってる。
- 単に面倒だから、そう言ってる。
です。
で、「自分で考えろ」と言ったその人が、質問の答えについて体型的に説明できるのであれば、「自分で考えろ」って言う言葉に、説得力はありますよね。
2通りの理由があるとはいえ、言えるけど、敢えて言わないっていうスタンスだからです。
でもこれ、自分でもわかってないから、「自分で考えろ」って言ってるパターンもあるなぁと思いました。
要は、逃げてるパターンです。
考える為にやってはいけない事
以前、考える事について、うだうだ考えた記事があります。
今回はもう少し実用的な、考える方法についての結論です。
まず、考える際に、やってはいけない事があります。
それは、頭で考える事です。
「考えるってのは、脳の処理なんだから、頭じゃなきゃ考えられないでしょう」って、思いますよね。
これは厳密に言うと、頭の中だけで、考えてはいけないって事です。
どういう事か?
例えば、暗算ってありますよね。
あなたは、以下の問題を解いて下さいって言われたら、どうします?
47219674893×78409748930=?
頭の中だけで、できますか?
稀に出来る人も居るでしょうけど、一般ピーポーには無理ですよね。
でも筆算だったら?
なんとか時間をかければ、解答に辿り着く事が出来る筈です。
つまりこれは、筆算が出来てこそ、暗算が出来るって事ですよね。
暗算よりも、筆算の方が、やり易いし、速いんですよ。
プロセスを問わないのであれば、極端な話、電卓を使ったっていい訳です。
つまり、此処で言いたいのは、考えるってのは、手で書く作業って事なんですよ。
だから、考えるって実は、頭の中で考えると言うよりは、手で考えるって作業なんですよね。
因みに僕は、口頭で話をするのは得意ではありません。が、文章なら、まだマシです。
それは、目に見える言葉を前提に、次の言葉を繋げる方が、幾らか考え易いからなんですよね。
いつか死ぬ体なんだから【車輪の再発明】をしてる暇は無いよ
原理原則ってありますよね。普遍的な真理です。
単位の定義とか、言葉の定義とか。
例えば、人間の歴史って、何も変わってないですよね。
文明の進歩はあれど、相変わらず自分の正義に従って、刺し合ったり、撃ち合ったりしてる。
マクロで言えば、戦争はなくならないし、ミクロで言えば、いじめはなくならない。
凡ゆるビジネス書は、特定の古典の焼き増しに過ぎないとかね。
こんな感じで、変わらないものってのがあります。
【車輪の再発明】っていう、世界中で使われている慣用句をご存知でしょうか。
車輪の再発明とは
「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を知らずに(または意図的に無視して)、同様のものを再び一から作ること」を意味する。
既に存在するものを、頑張って作り出しても、徒労でしょって事です。
その意味で、知らないって事は、無駄な事をしてしまう可能性を孕んでる訳です。
つまり、既にあるものは、勉強したり、パクったりした方がいいって事です。(盗作的な意味ではない)
この記事で言う、既にあるものに対して、追加するっていうスタンスです。
参照記事:パクリ?【Arctic Monkeys】より【The Mirraz】の方がカッコイイ理由
【考える】とは可視化する事である【ブレインダンプ】
【ブレインダンプ】という方法があります。
アイディア出しに使われるものなんですが、簡単に言えば、頭の中にあるイメージを全部出すって事です。
- brain=脳
- dump=放り出す
ダンプカーってありますよね。あのイメージです。
背中に乗せた、土砂だの荷物だのをどさっと下ろす。あの感じ。
頭の中で蠢いてるものをドサー!っと出し切る。
脳内の発想を、目の前に可視化したところで、整理するんです。
そうする事で、思考と言語化を一致させる事ができます。
考えても自分の中に答えは無い
考える行為って結局、外界のフィードバックをベースに、情報を整理する事です。
あんまり自分の内側に固執しても、答えは無かったりします。
内向型の人間にとっては、辛い部分もあれど、なるべく外を見る意識はあった方がいいですよね。
人それぞれの特徴、ディティールに差異はあったとしても、マクロで見れば、それぞれの人間に大した違いは無いですから。
世界は広いです。
70億以上の人間が、地球上で生活を送っているんですよ。
そう考えたら、一回、自分の考えってのを置いといて、没我の境地によって見えてくるものもあるかもしれない。