言葉(情報)を日常に持って帰るまでが読書です

2020年2月21日読書レビュー

日常とは別の世界

おはようございます。

気を抜くと猫背になる男。mikioです。どうも。

突然ですが、あの世と、この世っていう線引きありますよね。

具体的にいうと、死の世界と、生の世界っていう分け方の事です。

例えば、臨死体験て、あるじゃないですか。

あれは、死にかけたけど、生きているからこその臨死体験な訳です。

死んじゃったら、体験も何もないですよね。

「あの世に行ってみた」なんつって、体験レビューをしようと息巻いたって、この世に帰って来れない事には、それを誰かに伝えようも無い訳です。

つまり、三途の川を渡って、帰ってきたっていう、過程がある事で、死さえも体験になるという事です。

ここで言いたいのは、あの世が存在するとか、存在しないとか、そういうスピリチュアルな話ではありません。

非日常日常の往来っていう、1つのモデルについての話です。

この、2つの世界を行き来するっていうモデルを使えば、情報収集行動の関係を説明できると思ったので、今回はそんな感じの記事です。

では、解説していきます。

この記事の結論

取りに行った情報を、日常に持って帰って、使うところまでが読書

【知ってる】と【扱える】は全然違う

で、非日常と日常の往来っていう、このモデルを、に当てはめてみます。

【知らない事を知る】或いは、【誰かの経験を追体験する】という点に於いて、読書は非日常です。

それは別に、なんの問題もありません。

ここで重要なのは、知っている事と、その知識を使える事ってのは、全然違うぜって話です。

例えば、映画の評論家って、膨大な映画を見てるし、知識も理論も豊富です。

でも、評論家なので、映画はつくれません。

片や、映画監督はどうでしょうか。

勿論、膨大な映画を見てるし、知識も理論も豊富です。そして映画をつくれます。

つまり、知ってるだけの評論家と、映画作品を作り出すことのできる映画監督は、同じ知識を持っていたとしても、【映画を作れる】という一点に於いて、全然違うのです。

ただ知ってるだけなら、それは単なる雑学に過ぎないんです。

扱える段階に至るまでには、入力だけではなく、出力を通して、自分の血肉にしなければなりません。

血肉になっている状態ってのは、どういう事かっていうと、筆箱からシャーペンを取り出すように、知識をいつでも使える状態にしてあるって事です。

仮に、「100冊の本を読んだんだぜ!」って、鼻息荒くしていても、読んだ本人が何も変わらないのであれば、その読者は徒労に終わってしまいます。

読んだ事の大半は、忘れてしまうからです。

じゃあ、どうすればいいか?

反復するしかないって話ですよね。

参照記事:難しい勉強を簡単にする為の方法!復習とはアウトプットである

忘れてしまったとしても、思い出せばいいだけですから。

脳が「またそれ!?」って言って観念するくらいに、しつこく思い出す。

非日常で掴んだ部品を、何度も日常に引き摺り出して、持ち帰って、自分の一部とする。

脳のヤツに「あー!うるせー!わかったわかった!その情報は長期記憶に置いといてやるよ」と言わせたら、勝ちです。

車の運転と同様ですね。乗らなきゃ乗れるようにならないんだから、乗り続けるしかないんですよね。

これ、すっごい当たり前のことを言ってるんだけど、気を抜くと、いつの間にか読書自体が目的にすり替わってて、全然できてなかったりします。

そんな感じで当たり前の事を思い出させてくれる本が、これです。

読書で意識するべき、たった一つのマインドセット

だから、改めて一つ、問い直したいと思いました。

「非日常から持ち帰ったその情報。日常で使ってますか?」と。

「一冊!読み終えたー!」で、満足してしまってませんか?と。

読書しました。追体験しました。知らない事を知りました。

この状態では、先述したように、あの世(非日常)に行ってみただけです。

ちゃんと帰ってこなきゃいけない訳です。しかも、ちゃんとお土産を持って

一個でいいんですよ。

なんか持って帰る事ができたなら、それを日常で使う事ができたなら、読書(非日常)の意味はあったと言えます。

忘却しちゃったら、もう一度取りに行けばいいと。

「家に帰るまでが遠足です」みたいな話で、「家に持って帰るまでが読書です」と。

この意識一つで、結果は全然変わるなと。

自分を変える為に読書してるんなら、読んで満足じゃダメだ

ディズニーランドで、スプラッシュマウンテンに乗って、「あー楽しかった」で、終わってもいいんだけど、それだと、ただの消費者です。

いや、楽しむ事が目的なら、寧ろ、それでいいんですよ。それが一番です。

ただ、読書の目的にもよりますが、何か、現状を変えたくて本を読むのであれば、「あー楽しかった」って、言ってる場合ではないんですよ。

その情報を、結果に反映させないと、【俺、やってるぜ感】に浸ってるだけ。以上、終了です。

「ここから!なんか一個持って帰る!」「そして使う!」ってところまでをイメージして、インプットからアウトプットまでを通した日常をデザインしてこそ、ようやく読書に、意味とか、価値とかが宿るんですよ。

ロールプレイングゲーム風に言うと

  1. なんとか、かろうじてドラゴン倒しました。
  2. 今より攻撃力が上がる、剣を手に入れました。
  3. それを部屋に飾りました。めでたしめでたし。

じゃ、ダメな訳ですよね。

いや、使ってよー。その剣、次の冒険に活かしてよー。使いこなしてよー。って、話なんですよね。

ノウハウコレクターって、剣を手に入れたら、その安心感に浸っちゃうんですよね。わかります。

でも、剣を手に入れた満足感で止まってたら、次は無いんですよ。

ぶった切ってくださいよ。その剣で。あなたの未来を。

従来の日本人は吸収だ吸収だ、勉強だ勉強だと言って「勉強したね、学んだね」と満足していましたが、学ぶだけではダメです。

学んだことを使って、何かを破壊する、そして新しい秩序を作る、さらに自分のお金になることを考える、そういうことを考える癖をつけないと意味がないですよ。

今、世界中で若い人たちが、急激に企業の力をつけている最大の理由は、彼らがそれを実践しているからだと思いますね。

出典:大前研一ビジネスジャーナル No.2 「ユーザーは何を求めるか」/大前研一

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mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
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