「そっちはどうだい?」【曽我部恵一BAND】の容認と漫画家になれなかった男の話

2019年3月2日バンドレビュー

 

曽我部恵一BAND

ROSE RECORDS 曽我部恵一BAND

【三つ子の魂百まで】って言いますけど、子供の頃の体験が、大人になった今の自分へと、脈々と影響を与え続けてるって事、あると思います。

あなたの中には、子供の頃の自分って、どんな風に潜在していますでしょうか?

笑ってますか?

それとも、泣いていますか?

今回は、僕が漫画家になる事を諦めた頃に出逢った、音楽のお話です。

いつも以上に感傷的で、パーソナルな内容となってしまいましたが、もしよろしければお付き合いください。

乾いた時代に情熱の雨を降らす

並べられた試聴機の中に、曽我部恵一BANDの3rdアルバムを見付けて

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mikio

あ、そかべさんだ

と手を伸ばしたのが、まだモアーズ時代の横浜タワレコでの事でした。(現在はビブレ地下1F)

つまり、約6年前の出来事。

1stは凄く好きだったんですが、正直2ndアルバムは微妙だったので、「その後どうなったのかなー」と気になって視聴してみました。

結果、一曲目の冒頭の数秒で

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mikio

…これはヤバいアルバムだ!

と直感で察した僕は、その場で直ぐに買って帰って、家で爆音で聴き入りました。

ソングフォーシェルター

ふわっとしたリズムとリフを背景に、ラップのような、ポエトリーのような、小気味良い歌い方。

そこに乗って来る、ファンタジーの体裁を纏った退廃的な言葉が、心に雪崩れ込んで来る訳です。

その頃の自分に見えた情景描写が、ちょっと泣いてしまう位、鮮烈で心地良くてどうしようもなかったんですよ。

この曲と初めて対峙した時、自分の、心の中に居る子供に話掛けられているような感覚が、強烈にあったんですよね。

そっちはどうだい?」って語りかけるサビの部分です。

なんでかというと、僕にとって漫画を描く事は、11歳の頃の自分の声に耳を傾けるような作業だったからです。

そして同時に、26の自分と、11の自分との繋がりを全て引き千切る。と云う覚悟を決める寸前に聴いた曲でもある。

そんな背景もありました。

つまり、漫画を描き続ける事を諦める時期にリリースされたアルバムの一曲目が、ソングフォーシェルターだったのです。

おじさんの問い掛け

「そっちはどうだい?」って、この何ともさり気無くも温かい、おじさんの問い掛け。

それに対し、11歳の自分がリアクションを返すんですよ。

何処までも行きたかった子供が、何処にも行けなくなったままで。

無言で両腕を、両目に押し当てて、肩を震わせてる姿で。

抑えていた割り切れないものが、涙になって溢れ出してるけども。

でも、「ありがとう。大丈夫」って、変な感覚になるんですよ。

おじさんは言うんです。

「俺は此処に居るよ」「君もそこに居るよ」なんて、そんな当然の認識を差し出されるような。

フラットで穏やかな時間が、爆音の中で漂って消えました。

この曲も、似たような気配を持っていて、好きです。

今日のサイレン 明日の雨 この歌は僕達の隠れ家の為

出典:ソングフォーシェルター

曽我部恵一BAND/曽我部恵一

恙無い日々に、秘密基地なんて必要無いんですよ。

クソみたいな状況や状態が有ったとして。

それに対する実感が、秘密基地を秘密基地にさせるのです。

で、それは別に場所を指してる訳じゃなくて、未来と過去、自分と他人の間にあるものだって話。

11歳の自分が見た景色

11歳の自分が感じた、柔らかな予感と、祈りのような期待

その時の自分の想いを、未来の自分はなんとしてでも肯定したかったのです。

未来の時間を使って、11歳の自分が信じた未来を実現させる。

そんな約束を果たすような想いで26歳まで生きていました。

だからこそ、そんな風に聞こえたんでしょうね。

しかし、それと引き換えに選んだのは、そんな訳のわからない事に寄り添ってくれた、当時の恋人と結婚する未来でした。

その選択は未だに、正しかったなぁとも思うし、間違っていたなぁとも思います。

それでも当時の自分は、モラトリアムな自分に終止符を打つ事を選ぶしかなかった。

当時の恋人に感謝していたからです。

そして、漫画家になれないと、解りたくなんかないけど、解ってしまったからです。

そんな、どうしようもない閉塞感。

自分が何よりも大切にして来た、アイデンティティとのトレードオフで選んだ、未来の延長上で生きているのが今の僕です。

あの頃の自分を葬っておいて、未だに図々しく生きています。

こんな風に、子供を連れて行けなかった大人は、過去の自分を犠牲にしながら生きるしか無いのか?

過去に執着しながら、「嫌だ」って思いながら、喪失を悲愴的に捉えるのか?

いや、その発想自体が、今を生きているとは言えませんね。

喪失と最初を結ぶ光芒

喪失の哲学と言えばこの男、藤原基央(敬称略)の言葉達。

彼の詩の世界は、必ず喪失を前提として言葉が構成されています。

短絡的に、【永遠】とか言わない訳です。それが事実ですからね。だから信用出来る。

大丈夫だ この光の始まりには君がいる

このフレーズにグッと来るのは。僕にとってそれが、先述した11歳の自分に伸びていくからです。

こうなると、結局、自分にとっての感動の全てが、11歳の自分が作り出しているものであるとしか、思えなくなってく来るんですよね。

感動のふるさと

今ソングフォーシェルターを聴いても、当時のような感情の風は吹きませんね。

思い出すだけです。

それは、今の僕のものじゃないからですね。

ずっと11歳の自分を26まで連れて来たからこそ感じた、瞬間最大風速の感情だったのでしょう。

しかし、未来を一つ閉ざしたとは言え、未だにRADWIMPSの「少年ジャンプ」のような曲に反応してしまうのは、11歳の彼が、ハートの奥で潜在的に生きている事を、表明しているんだと思います。

参照記事:RADWIMPSの「週刊少年ジャンプ」を考察

【涙のふるさと】って曲が、BUMP OF CHICKENにありますが、僕にとってそこは、やっぱり11歳なんでしょうね。

隙間の隙間の隙間が出来たら、また漫画描きたいんですよ。

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mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
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