【速読】とは本1冊に書かれてる20%の核心部分を探す手法である

mikio
おはようございます、mikioです。どうも。
僕は、読書スピードが、一般的な人に比べると遅いです。
未だに遅いです。
気付いた事や、感じた事を、その場で直ぐにメモしたり、曖昧な理解の言葉の意味を調べ直したりと、そんな事ばっかりしてるから遅いのはわかっている。
でも、一々腑に落ちないと、読んだ気になれないじゃないの。
理解出来ていないのに、文章だけなぞっても、目的を果たしていないし、目線が本一冊分の活字の上を滑ったからって何だっていうんだ。
それだったら、YouTubeでも見てた方が、却って有意義じゃないか。
例えば「オッカムの剃刀」という、文字通り、オッカムさんっていう哲学者の思想があります。
で、初見で先ず思うのは、なんで名前に「剃刀」とっていう単語が入ってるのか、よくわからない。
そこに違和感を感じてしまい、気になって調べずにはいられなくなる。
そしてやはり「剃刀」は、比喩的な意味合いで扱われていて、無駄なものは削ぎ落とす事を意味していた。
そこで漸く納得し、理解が深まる。
そんな事をやってるから、読みたい本は少しずつ積み上がっていくのに、読み進める速度は遅い。
理想とする読書スピードに、自分の理解が追い付いて来ないから、思うように読み進められない。
「あぁもう!」ってなる。いつも。
でも、普段からオーディオブックとかYouTubeで、音声を2〜4倍速で暴力的に流し続けていたら、なんとなくリズムというか、コツを掴んだ気がしたので、今回の記事は3つのマインドセットについて。
遅読野郎が【速読】で意識している3つのマインドセット
速読を意識する上で、身に付けたマインドセットが3つあります。
- VAKを使う
- パレートの法則を意識する
- 雑に読み飛ばす事への許可
さて、速読って結局なんなのか?っていうと、僕は【読む必要の無い箇所を飛ばす技術】だと解釈しています。
例えば、本を読みながら「ここどうでもいいな」っていう部分に、差し掛かるポイントってのが、何回かある筈なんですよね。
っていうのも、本に記されている内容が、全ページ、100%核心部分である本なんて無いからです。
読書とサンクコストとプロスペクト理論
書籍を丁寧に読もうとする事。これがそもそもの間違いだったと気付きました。
せっかく買ったんだから、最後まで一字一句読み込もうとか、そんな感じだったんですよ。
映画だって、エンドロールまで見てこその映画だ。それが作り手に対する敬意だ。
なんて、妙なこだわりがありました。
実際、エンドロールの途中、或いは終わってから、次への伏線的な映像が、数十秒間流れるみたいな事もありますからね。
でもまぁ、時間を大事にする人、仕事ができる人ってのは、つまんねぇと感じたら即座に映画館をでるって話を聞きます。
何故なら、サンクコストを意識しているから。
あなたはどうでしょう?つまんなかったら席を立つってできますか?
僕は取り敢えず、最後まで見てしまいますね。
それって結局、金をはらったんだから元を取ってやろう、なんてセコイ考えに基づく鑑賞の仕方なのかもしれません。
プロスペクト理論ってのがありますが、人間は基本的に利益を得る事以上に、損失を被る事の方が反応するようになってます。
【斜め読み推奨】本を雑に読み飛ばす事への許可
で、これって読書も同様なんですよね。
眠くなるような内容でも、自分の理解力が悪いからだっていう解釈で、最後まで読もうとします。
ところが、全部読んだところで、何も記憶に残ってないって事は往々にしてあります。
ただ、本を何冊も読むようになって、読書スピードも上がって来ると、自分と相性の良い本、悪い本ってのが見えて来ます。
例えば、他の誰かが称賛してる本があるとします。ところが、読んでみても印象が薄い。
これは自分の読解力の問題だと、もう一度読み込んでみても、印象が薄い。
つまり、そういう本は自分が今読むべき本ではないって事です。
本なんて、1ヶ月で6000冊の新刊が出版されるって言われてますからね。
5月に「半年で100冊読んでみよう」なんて、目標を立てたけど、読み続けてる内に、「100冊の本を読むより、1冊の本を100回読んだ方がいいじゃないか?」って事に気付きました。
つまり、もっと雑に読んでいい。丁寧に読み込む為の本を探す為に、雑に読んでいい。
そう思うようになってから、更に早く読めるようになったんですよね。
恐らく、【本は雑に読むものだ】っていう、それくらいのマインドセットを持つだけで、自ずとスピードは上がっていくんじゃないかなと考えています。
そもそも読書の目的は?読まなくていい文章を探せ
世の中には、1日に何冊もの本を読破してしまう人ってのが、居るとか居ないとか。
そういう人からすれば、気になったページを破っておいて後は捨てるとか、聞いてると、めちゃめちゃワイルドな読書方法を取っているんですよね。
で、やっぱり速い人って、雑なんですよ。
じゃあ僕も、これを見習おうという事で、「本は雑に読み飛ばしてよし!」っていう、マインドセットに変えるようにしてます。
ただ、本は丁寧に読まなくて良いってのを、受け入れるのには時間が掛かりました。
僕は、漫画を一冊読むのですら、一時間以上掛かります。
性格的に、せかせかするのが嫌いなので、それが読書スピードに反映されてるんだろうなってのもあるし、人が時間をかけて紡ぎ出したものを、読み飛ばすってのが、どうしてもできませんでした。
だからこそ、それを許可したんですよね。じゃないと、やっぱり遅いですから。
読み方としては、自分が反応したポイントに入った時点で、認識の範囲を変えるんですよ。
これは今の自分に必要ないと感じたら、1行単位の読み方から、数行のブロック単位にして、塊で見流すようにする。
一歩引いて、視界を広げるようなイメージです。所謂、ナナメ読みですよ。
で、また必要な部分に乗っかったと認識したら、そっから1行単位に戻して、読み流していく。
先述したように、速読ってのは読む速さを上げるっていうよりは、読むべき文章を見付けて、読まなくていい文章を飛ばすって事なんですよね。
少なくとも、この見極めをする事で、一字一句、丁寧に読もうとするよりは、確実に速く読めます。
読書にもパレートの法則は適用される
なんで雑に読むほうが良いと思ったかっていうと、自分にとって必要な情報って、本一冊に記されている情報の内、20%しか無いからです。
つまり、80%は無駄な情報って事です。
パレートの法則ってのがあって、80対20の法則とか、ニッパチの法則とも呼ばれてますが、要は、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという理論です。
これって、読書にも当てはまると考えています。
厳密には、その数字も前後しますけど、後々読んだ本を振り返ると、反応した情報って、やっぱりそのくらいの割合に落ち着くんですよね。
それを心得ておくってだけで、読む速度も少しは違いますよ。
当たり前だけど、全部大事とは、思わないほうがいい。
VAKを使って五感をフル動員せよ
VAKってのは五感の分類の事です。
- V(Visual)→視覚
- A(Auditory)→聴覚
- K(Kinesthetic)→体感覚(触覚・嗅覚・味覚)
これ、人それぞれで感覚タイプの優位性が違うようです。
ワンピースで言う、覇気みたいな分類ですかね。
集中して本を読む為に、手っ取り早い方法は「音読」する事です。
別に、でかい声で発声する訳ではなくて、ぼそぼそと文字をなぞっていくイメージです。
更に、指で文章をなぞってくのもいいですよね。
嗅覚と味覚を刺激するってのはどうやるんだろう?
英語覚える時は肉を喰いながら、数学をやる時は野菜を喰いながらとか?
少なくとも、体感覚を多く使う方が、内容と意味に意識が向き易いんですよね。
音読しながら活字を追うと、黙読による視覚情報に聴覚情報がプラスされるので、単純に感覚のレイヤーが増えるんですよね。
インフラ整備によって快適な読書ライフを目指す
基礎知識の集積による、インフラが整っていているからこそ、スラスラと、負荷無く読み進める事ができる本ってのがあります。
そんな風に、読書ってのは、自分の知識レベルによって、面白くなったり、読む意欲を失くすくらいに理解できず、滅入ったりもするんです。
だから別に、今読めなかったとしても、1年後には理解ができるようになってるかもしれないんですよ。
そして、読めなかった本が読めたって事は、自分がレベルアップしたって事の指標になりますから。
少なくとも本は、いつでも、何処でも、読まれる時を待ってる訳です。後は自分次第。
活字に触れる機会を増やして、場数を踏んでいくしか無いっすよね。これは読書に限らず。
僕は今ままで、校庭をぐるぐる走り続けて、漫画を描いて、ギターを弾き続ける事に青春時代を注いだ結果、「これじゃ頭打ちだ」って気付きました。
参照記事:センスを磨くべく【勉学】ではなく【感性】に逃げ込んだ者の末路
ずっと、「心があれば大丈夫」って思ってたんです。
どこへ行こう
どこへでも行ける
そこに心があるかぎり
出典:Misstopia
THE NOVEMBERS/小林祐介
でも、心だけじゃ駄目だって気付いたんですよ。遅いよホントに。
ただ知ってるってだけで、情報処理の軸を作る事に繋がる。
更に、行動の精度も速度も上がります。だから本を読むのです。
読書は、考えたり思い出したりする契機を与えてくれます。
あれこれと、思う事が量産されていくから、それを拾ってるだけで言葉になる。
ただ語彙を扱う表現力が乏しい為に、言葉に詰まり、イメージが逃げて行く事もしばしばです。
それでも本を読んでいる最中は、日常で沈んでいた感覚を、言語化する機会にどんどん遭遇出来る。
面白い本を読んでいると、文章が自然と記憶の何かと結び付いて、イメージが浮かぶ。
それに対する反応が、メモになり、1つの記事になる。