金魚以下の集中力でオンラインに翻弄される現代人

mikio
急に何?って感じですよね。どうも、mikio(@mikio_96 )です。
集中力を機能させる事は、出力に於いても入力に於いても、対象と向き合う為の第一義的な条件です。
集中が弱いと、何も覚えられないし、本来のパフォーマンスも発揮出来ません。
つまり、目的を果たす為に大前提となる状態。それが集中です。
ところが現代人の集中力は、金魚以下って言われる程に、総じて集中力が下がっていると言われています。
何故か?
それは、オンラインが一つの原因となっているからです。
参照記事:インターネットの起源っていつから?世界と日本とwww
スマホ依存、繋がり過ぎ、デジタルデトックス、そんなキーワードが注目されているのもオンラインによる弊害です。
なんとなくで終わる1日は何処から始まるか?
さて、何でもそうなんだけれど、媒体に対してなんとなく関わると、なんとなく時間を持ってかれます。
有効期限付きの生命時間を、自分の為に有効にしたいのならば、何かに関与する際は明確な目的ありきでなければならないのです。
僕はネットに繋がっていると、集中力が低下する実感があります。
だからこそ、20代前半の頃はインターネット環境を意図的に遮断していました。
WEBに足を踏み入れると、意識を留めておく自制心が脆弱になるのか、自分の頭で考えようとする主体性を次第に失う感覚を覚えるのです。
受動的な状態に陥って、意識を誰かにジャックされるような。
なんだか、いつの間にか操作されているような感覚に陥るんですよね。
まぁWEB上には、誰がどんな意図や作為を持って投下したのか、よく解らない情報で氾濫しているのは確かです。
正しいのか。間違いなのか。これを判断する物差しは自分のネットリテラシーに依存します。
現代人の集中力は金魚以下
- 「これちょっと見てみたい」
- 「これは今後の為に見ておきたい」
- 「なんだこれは?」
- 「此処にもありそう」
気を逸らす事に長けた、多様なコンテンツで溢れ返っているネット上。
ちょっとした興味が、調べている内にどんどん本筋から逸れてって、本来の目的を見失って迷子。みたいな状態にさせます。
点々と落ちてるクッキーを拾うくんちゃん(未来のミライ)や、点々と落ちてるどんぐりを拾うメイちゃん(となりのトトロ)のようです。
前提として、明確な目的が念頭に置かれている状態ならば、有益なメディアとして機能します。
しかし、少しでも気が逸れてしまえば、途端に誰かの作為に呑み込まれる。
そして離脱して気付くんですよ。
今日、何も出来てないな。と。目的を果たす為の段取りに着手すらしてないし。と。
残るのは過ぎ去った時間と、妙な虚無感だけ。
つまり、ネットサーフィンで情報の波に乗るには、主体的な目的が不可欠です。
目的が無いと、波に呑まれて溺れます。
ネット上で芽生える感情と興味は有用か?有害か?
例えば、目的を果たす為の手段を探しに、目的の情報に辿り着いた時。
気付いたら、関連記事や関連動画(レコメンド表示)を入り口にして、本来の目的とは違う場所へ連れて行かれていると気付く事が有ります。
自分の意志じゃないけど、自分の意思で。

mikio
つまり、気を逸らす事に特化したデザインや、今の自分の状態や気分に合致するような、扇動的な見出しで構成された欲望誘発装置によって、自分で自分に翻弄される訳です。
そこからは、意図しないネットサーフィンが勝手に始まってる。
いや、波に呑まれて漂ってるって言った方がいいですかね。
結果的に有害な時間を量産し、本来の目的に使うべきリソースを、瑣末な興味に使ってしまう。
これは個人的に危惧すべきWEBの弊害です。延いては、反応した自分に選択を委ねた弊害です。
しかし、短絡的にネットへのアクセスを遮断してしまえばいいかと言うと、それも今は適切な選択ではないんですよね。
何故なら、飽くまで「正しい情報」は必要だからです。
Twitterは怖い
やってみて解ったんですが、Twitterは最悪ですね。
確かに、WEB検索や読書では巡り会えないような、有益な情報に遭遇します。これは本当に便利でした。
しかし、適切な使い方をしないと以下のような弊害に見舞われる。
- 【いいね】が嬉しい
- なんか気になって見ちゃう
【いいね】が嬉しい
SNSで特に厄介なのは、他人からのリアクションとして刻まれる【いいね】です。
SNSを遠ざけていた頃は、【いいね】って、そんなカウントの何が嬉しいの?それが増えるから何なの?と思っていました。
でも例えば、進んで一人になりたい時は別ですが、寂しい感情の伴うような状況でのランチの際、「一緒に食べませんか?」って言われるような喜びが、Twitterの【いいね】にはあります。
なんか、人のリアクションって、やっぱり嬉しいんですよ。
つまり、そこに感情が生まれてしまうのです。
人間は感情で動く生き物です。
感情が発生すると何が起こるのか?
なんか気になって見ちゃう
自分のつぶやきに対する反応が、気になってしまう訳です。
適度な距離を取らないと、いつの間にかマインドシェア率を占領されてしまうような懸念があります。
特に疲れてる時、判断力が鈍っている時程、【なんとなく】が動機になるからです。
しかし、僕にはTwitterを続ける理由があります。
ライフログをパブリックな場所に残す事で、このブログを援護射撃出来るからです。
この頃、こんなものに出会った。こんな事を感じた。こう考えていた。
そんな当時の新鮮な反応を、ログ(証拠)としてブログに引っ張って来れるのです。
Twitterのつぶやきって、編集が利きません。だから、よりログ(証拠)として機能します。
つまり、ブログの為のTwitterです。
自分ルールとしては、Twitterは日記でいいのでメモ感覚ですね。従って、カジュアルに言葉を残せます。
適切な距離を保てれば、続けるメリットが大きいのがTwitterです。
Twitter同様、何か動機が生じればFacebookもInstagramもやるのかも知れないけども。
そうでなければ、全然やる気にはならないですね。
基本的に、SNSは時間の無駄ですからね。
集中とは遮断である
集中力の重要性については自覚的です。
極端な話。起きている間の時間全てに、集中力を機能させられたならばですよ。
集中力を一切発揮させなかったであろう自分の、2倍の人生を生きる事が可能だと。勝手に解釈している程です。
憧れたヒーロー全ての人に通底する能力は、例外無く集中力が凄まじい。
そして間違いなく、意志の強さがそれを実現させている。つまり、メンタルですね。
自分の知識も技術も見解も経験値も向上させ、深化させる特殊能力。それが「集中力」なのである。
それは、言うなれば
- サイボーグ009でいう「加速装置」
- ドラゴンボールでいう「スーパーサイヤ人」
- ワンピースでいう「ギアセカンド」
能力をブーストさせる訳です。
それが的確なベクトルである事が前提にはなるけど、集中している時間の割合が人生のトータルで多ければ多いほど、その人が何かをやらかすパーセンテージは上がる筈です。
その為には、目の前のもの以外の全てを遮断してやれば良いだけです。
此処で言いたかったのは、つまり、何でもかんでもオンラインな現代人は【今の自分に必要なもの以外の情報を無視する力】ってのが試されているのではないでしょうか?
そんなお話でした。