【会話が苦手な内向型人間のあなたへ】夫婦関係は話ができないと話にならない
夫婦も人間関係なんで、コミュニケーションを取らないと、よくわからない誤解が生じます。
その誤解が発展して、更に穏やかじゃない憶測を呼びます。
話をしましょう。
「え?話は得意でない?」
そうですか。僕もです。
よく、「何考えてるかわからない」と言われます。
恙無い夫婦関係を送る上で必要となる2つの視点
この記事では、夫婦関係にフォーカスしてますが、深く長く続けたいと思うような関係下に於いては、最低限、この2つの能力が無いと、何処かで途方に暮れるタイミングが来るんじゃあ無いでしょうか。
- メタ認知
- 論理的な思考
この2つの視点は、人間関係の悩みと対峙する上で、筋トレみたいに鍛えておいた方がいいと、僕は考えています。
何故なら、「これは嫌だ」っていう自分の気持ちを相手に伝える為には、メタ認知で自分がどう思ってるのかを把握して、尚且つ、論理でそれを整理しておく必要があるからです。
自分の気持ちを、相手に伝わるように伝えるってのは、このプロセスを自覚的に経由するって事です。
そうやって、自分の気持ちを伝える事が出来れば、あなたの抱えているフラストレーションも、少しは軽減するかも知れません。
メタ認知=幽体離脱的な視点
では、ここで言うメタ認知ってのは何か。
これは、主観に対する客観性の事ですね。
自分のレンズを通して、世の中を見てる自分を、別のレンズで見るって事です。
何故、自分がそう思うのかを考える。
これの何がいいかって言うと、仮に、自分の自暴自棄でミクロな感情に支配されそうになっても、マクロで見れば、広い空間の中の点になるって所です。
つまり、長い目で見たら、目の前の出来事は局所的な出来事になる。
ただ、その為には、意図的に精神的な余裕を作っておく必要があります。
余裕が無いと、マクロ的な視点が機能しません。
タイムリーな話題で言うと、7月12日、めちゃめちゃドラマチックにWBA世界ミドル級の王座奪還を果たした、戦う哲学者。
もとい、村田諒太選手というプロボクサーが居ます。
彼が9ヶ月前に、ロブ・ブラントに敗退してから、読んだ本の一冊が、マルクス・アウレーリウスの【自省録】だったそうです。
その本で、彼が影響を受けた言葉が、以下の通り。
事物は魂に触れることなく外側に静かに立って居り
わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎない
出典:自省録/マルクス・アウレーリウス
これはつまり、解釈次第で、良くも悪くも捉えられるって事。
プロタゴラスも、「人間は万物の尺度である」って言ってたけど、言ってる事は同じで、見え方はマインドセット次第で変わるんですよね。
何故なら、世界には本来、固定された意味も価値も無いからです。
人間が勝手にラベルを貼って、意味の世界として認識してるだけです。
その繋がりで言えば、VANSのスニーカーの色です。
コレが、見る人によって違うっていう、ギャップで話題になっています。
カラクリとしては、光の色とか、当たり具合で、スニーカーの本来の色を脳内補正して見てる人と、脳内補正されていない状態で見てる人の違いとして
- 白×ピンク
- 緑×グレー
大きく2通りに分かれるようです。
人の主観なんてのは、まさに、こういう事ですよね。
見え方なんて、人によって色を変えるんですよ。
自分の知識や経験、思い込みっていう前提が、同じなんて人は居ませんよね。
だから、仮に主観が暴れ出したとしても、それを知ってれば、感情に流される事も意図的に減らす事が出来るって事です。
大局的に、自分が取るべき態度を選び取る事が出来る。
論理的な思考とは前提から引っ張ってきた線の連なりの事
ここで言う、論理ってのは何かって言うと
こうなってるから→こう!
これを延々とやってく事です。
論理は此処の、「から」に宿ります。
〇〇だから、〇〇。
前提からの結論。
或る定義があって、そこから見える次の定義に、線を引っ張って行く。
これが論理です。別に何も難しい事は無い。
ロジカルシンキングが、特に機能する場面てのは、自衛的に反論をしなければならない時だと思います。
こうなって、こうなって、こうなんだから、こうでしょ。
みたいな論理構造が頭の中にあれば、理不尽な攻撃も躱せます。
人間、テレパシー能力なんて無いもんだから、言わなきゃわかんないんですよ。特に男は。
一方で、女側には、「察しろよ」っていう言い分がある。
だから、「わかるでしょ!?」って言われても、「わかんねーよ!」ってなります。
それが男女関係です。そんなもんです。
論理に期待したのは【伝わるように話せる】未来像
僕が以前、論理を学ぼうとした理由は、デザインの為だけではありません。
事実ベースで見れば、僕は【男】で且つ、【内向型】の人間で、更に【感覚派】の人間です。
俗に言う、右脳型の人間なんです。
しかも根本的に、会話が好きでないんです。
そんな人間がですよ、そのまま何も学ばずに生きてるだけで、トーク力なんて磨かれますかね?
無理ですよね。
別に社会不適合者で居ても、問題なく生きていけるような手段があるなら、そのままでもいいと思います。
例えば、僕は話が上手く出来ないおかげで、絵が上手く描けます。
中野信子(敬称略)が、TVで面白い事を言っていた。
言葉と映像記憶は、トレードオフ。
言語処理能力が上がっていくにつれて、視覚で記憶する能力が落ちるんだそうな。
過去を思い返すと、上手く喋れなかったからこそ、自分は絵が描けたんだと、妙に納得。
— みきお▶︎100冊読書挑戦中 (@mikio_96) 2019年2月27日
この辺の能力値って、トレードオフみたいです。
だったら僕は、トーク力が下手なままでも、絵を上手く描ける人で居る方がいい。
ところがですよ、僕は一家族の夫であり、父親でもあります。
そんな男が、事あるごとに「えぇ」とか、「あぁ」とか、「うぅ」とか、「あのー」とか、うろたえてたらヤバイですよね。
くそダセェですよね。
それ故に、「ロジカルシンキングってどうやるんだ?」っていう疑問と必要性に駆られるようになりました。
論理的に考える方法を知る、動機が芽生える訳です。
話が出来ないと、話にならないんだよな。
絵ばっかり描いてても、家族は護れない。
— みきお▶︎100冊読書挑戦中 (@mikio_96) July 18, 2019
定期的に言いたい事を言い合う【場】作りの推奨
人によっては、子育てしてると、夫婦の会話って減る傾向にあるのかも知れません。
仕事で疲れて、子育てに疲れて、ってな状態にある時、どんな時間を過ごしたいかってのは、人それぞれにあるかと思います。
例えば、僕のような内向型の男って、1人になる事が精神的な回復方法になるので、疲れてる時程、会話したくないんですよ。
だから、そういう人は特に、普段から話をするように意識しないと、妻を不安にさせてしまう可能性があります。
そうすると、一次的な感情である【不安】が、二次的な感情である、【怒り】に変わるって事にも繋がりかねないです。
で、話をする度にその怒りが飛んでくるもんだから、【妻との会話は疲れる】っていう認識が固定化されてくる。
余計に話をしたくなくなる。
そんな悪循環に陥ってしまいます。
コミュニケーションは、面倒くさい人にとっては、面倒くさいものです。
でも、それをしないと、もっと面倒くさい事になるんですよ。
大抵の人間関係に於ける、軋轢や苛立ちってのは、言葉を交わさない事で、余計に悪化していくからです。
さっきも言ったけど、言わなきゃ解らないんですよね。
言っても伝わらないっていう現象もあるけれど。それはまた別の話で。
感情の内圧は、定期的に小さく爆破させとかないと、厄介な事になります。
その時は疲れても、嫌でも、面倒でも、自分が感じる違和感の話は放置すべきではない。
今までのなんだかんだとか これからがどうとか
心からどうでもいいんだ そんなことは
いや どうでもって そりゃ言い過ぎかも いや言い過ぎたけど
そう言ってやりたいんだ 大丈夫 わかってる
出典:話がしたいよ
BUMP OF CHICKEN/藤原基央