【会話が苦手な内向型人間のあなたへ】夫婦関係は話ができないと話にならない

2019年10月17日心のデザイン

足並みを揃えるカップル

夫婦も人間関係なんで、コミュニケーションを取らないと、よくわからない誤解が生じます。

その誤解が発展して、更に穏やかじゃない憶測を呼びます。

話をしましょう。

「え?話は得意でない?」

そうですか。僕もです。

よく、「何考えてるかわからない」と言われます。

恙無い夫婦関係を送る上で必要となる2つの視点

この記事では、夫婦関係にフォーカスしてますが、深く長く続けたいと思うような関係下に於いては、最低限、この2つの能力が無いと、何処かで途方に暮れるタイミングが来るんじゃあ無いでしょうか。

  1. メタ認知
  2. 論理的な思考

この2つの視点は、人間関係の悩みと対峙する上で、筋トレみたいに鍛えておいた方がいいと、僕は考えています。

何故なら、「これは嫌だ」っていう自分の気持ちを相手に伝える為には、メタ認知で自分がどう思ってるのかを把握して、尚且つ、論理でそれを整理しておく必要があるからです。

自分の気持ちを、相手に伝わるように伝えるってのは、このプロセスを自覚的に経由するって事です。

そうやって、自分の気持ちを伝える事が出来れば、あなたの抱えているフラストレーションも、少しは軽減するかも知れません。

メタ認知=幽体離脱的な視点

では、ここで言うメタ認知ってのは何か。

これは、主観に対する客観性の事ですね。

自分のレンズを通して、世の中を見てる自分を、別のレンズで見るって事です。

何故、自分がそう思うのかを考える。

これの何がいいかって言うと、仮に、自分の自暴自棄でミクロな感情に支配されそうになっても、マクロで見れば、広い空間の中の点になるって所です。

つまり、長い目で見たら、目の前の出来事は局所的な出来事になる。

ただ、その為には、意図的に精神的な余裕を作っておく必要があります。

余裕が無いと、マクロ的な視点が機能しません

タイムリーな話題で言うと、7月12日、めちゃめちゃドラマチックにWBA世界ミドル級の王座奪還を果たした、戦う哲学者。

もとい、村田諒太選手というプロボクサーが居ます。

彼が9ヶ月前に、ロブ・ブラントに敗退してから、読んだ本の一冊が、マルクス・アウレーリウスの【自省録】だったそうです。

その本で、彼が影響を受けた言葉が、以下の通り。

事物は魂に触れることなく外側に静かに立って居り

わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎない

自省録/マルクス・アウレーリウス/第三章三、pp.42-4

これはつまり、解釈次第で、良くも悪くも捉えられるって事。

プロタゴラスも、「人間は万物の尺度である」って言ってたけど、言ってる事は同じで、見え方はマインドセット次第で変わるんですよね。

何故なら、世界には本来、固定された意味も価値も無いからです。

人間が勝手にラベルを貼って、意味の世界として認識してるだけです。

その繋がりで言えば、VANSのスニーカーの色です。

コレが、見る人によって違うっていう、ギャップで話題になっています。

カラクリとしては、光の色とか、当たり具合で、スニーカーの本来の色を脳内補正して見てる人と、脳内補正されていない状態で見てる人の違いとして

  • 白×ピンク
  • ×グレー

大きく2通りに分かれるようです。

人の主観なんてのは、まさに、こういう事ですよね。

見え方なんて、人によって色を変えるんですよ。

自分の知識や経験、思い込みっていう前提が、同じなんて人は居ませんよね。

だから、仮に主観が暴れ出したとしても、それを知ってれば、感情に流される事も意図的に減らす事が出来るって事です。

大局的に、自分が取るべき態度を選び取る事が出来る。

論理的な思考とは前提から引っ張ってきた線の連なりの事

ここで言う、論理ってのは何かって言うと

こうなってるからこう!

これを延々とやってく事です。

論理は此処の、「から」に宿ります。

〇〇だから、〇〇。

前提からの結論。

或る定義があって、そこから見える次の定義に、線を引っ張って行く。

これが論理です。別に何も難しい事は無い。

ロジカルシンキングが、特に機能する場面てのは、自衛的に反論をしなければならない時だと思います。

こうなって、こうなって、こうなんだから、こうでしょ。

みたいな論理構造が頭の中にあれば、理不尽な攻撃も躱せます。

人間、テレパシー能力なんて無いもんだから、言わなきゃわかんないんですよ。特に男は。

「わかるでしょ!?」って言われても、「わかんねーよ!」ってなります。そんなもんです。

男も男で、言うしか無いんですよ。伝わるように。

論理に期待したのは【伝わるように話せる】未来像

僕が以前、論理を学ぼうとした理由は、デザインの為だけではありません。

事実ベースで見れば、僕は【男】で且つ、【内向型】の人間で、更に【感覚派】の人間です。

俗に言う、右脳型の人間なんです。

しかも根本的に、会話が好きでないんです。

そんな人間がですよ、そのまま何も学ばずに生きてるだけで、トーク力なんて磨かれますかね?

無理ですよね。

別に社会不適合者で居ても、問題なく生きていけるような手段があるなら、そのままでもいいと思います。

例えば、僕は話が上手く出来ないおかげで、絵が上手く描けます。

この辺の能力値って、トレードオフみたいです。

だったら僕は、トーク力が下手なままでも、絵を上手く描ける人で居る方がいい。

ところがですよ、僕は一家族の夫であり、父親でもあります。

そんな男が、事あるごとに「えぇ」とか、「あぁ」とか、「うぅ」とか、「あのー」とか、うろたえてたらヤバイですよね。

くそダセェですよね。

それ故に、「ロジカルシンキングってどうやるんだ?」っていう疑問と必要性に駆られるようになりました。

論理的に考える方法を知る、動機が芽生える訳です。

定期的に言いたい事を言い合う【場】作りの推奨

人によっては、子育てしてると、夫婦の会話って減る傾向にあるのかも知れません。

仕事で疲れて、子育てに疲れて、ってな状態にある時、どんな時間を過ごしたいかってのは、人それぞれにあるかと思います。

例えば、僕のような内向型の男って、1人になる事が精神的な回復方法になるので、疲れてる時程、会話したくないんですよ。

だから、そういう人は特に、普段から話をするように意識しないと、妻を不安にさせてしまう可能性があります。

そうすると、一次的な感情である【不安】が、二次的な感情である、【怒り】に変わるって事にも繋がりかねないです。

で、話をする度にその怒りが飛んでくるもんだから、【妻との会話は疲れる】っていう認識が固定化されてくる。

余計に話をしたくなくなる。

そんな悪循環に陥ってしまいます。

コミュニケーションは、面倒くさい人にとっては、面倒くさいものです。

でも、それをしないと、もっと面倒くさい事になるんですよ。

大抵の人間関係に於ける、軋轢や苛立ちってのは、言葉を交わさない事で、余計に悪化していくからです。

さっきも言ったけど、言わなきゃ解らないんですよね。

言っても伝わらないっていう現象もあるけれど。それはまた別の話で。

感情の内圧は、定期的に小さく爆破させとかないと、厄介な事になります。

その時は疲れても、嫌でも、面倒でも、自分が感じる違和感の話は放置すべきではない。

今までのなんだかんだとか これからがどうとか

心からどうでもいいんだ そんなことは

いや どうでもって そりゃ言い過ぎかも いや言い過ぎたけど

そう言ってやりたいんだ 大丈夫 わかってる

出典:話がしたいよ

BUMP OF CHICKEN/藤原基央

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mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
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