【完璧主義】は有害!肩の力を抜いて【質よりも量】を取る理由
「質よりも量を」って話は、よく聞く話です。
でも、なんで【質より量】なんでしょうか?
その理由を話してる人って、あんまり居ないんですよね。
なので、考えました。
質と量がトレードオフの関係にあるから二項対立になる
基本的に質と量は、トレードオフの関係にあります。
クオリティを求めれば、手数は減りますよね。
何故なら、傑作を出すには、相応の時間が掛かるからです。
超大作の映画を、毎日量産できる人なんて居ますかね?
出すもの全てが大ヒット、なんてありますかね?
寧ろ、傑作すら生み出せずに終わる人の方が、圧倒的に多い筈です。
例えばですよ、偉大な芸術家も実は数を打ちまくってるんですよ。
↓
- モーツァルト→60曲中6曲が傑作
- ベートーベン→650曲中5曲が傑作
- バッハ→1000曲中3曲が傑作
なんでこうなるかっていうと、芸術には再現性が無いからです。
ある程度の型はあっても、正解が無いって事です。
だからこそ、量産出来ないって事になるんです。
反対に、量を意識する場合、クオリティは諦めざるを得ない。
目的が量産になるので、必然的にクオリティよりもスピード重視になる。
トレードオフを意識すると、選び取った時に捨てる事になるものとの、不可分な関係性が見える。
例えば【質より量】
【量】を取ると【速さ】を得るが【雑】になる。
【質】をとると【丁寧さ】を得るが【遅く】なる。
両方は無い。
でも、量の中に【質】を作る方が、結果的に【質】を取れるのかも。
— mikio@漫画家のなり損ない (@mikio_96) 2019年2月8日
そりゃあ、質も量も取れれば最強ですけどね、物理的に無理です。
能力には個人差がありますし、人間という生き物(規格)にも限界もあるからです。
100メートルを、3秒とかで走る人間が居ないのと同じ事ですよね。
もし3秒で走れるのだとしたら、それは最早、人間じゃないです。
【完璧は無い】ずっと未完成のままの自分と対峙する
そもそもですよ、人間が作るものに完璧なんて無いんですよ。
スマホ市場を引っ張ってきたAppleですら、iPhoneを少しづつ刷新させてる訳です。
つまり、その時点の、最高を出し続けるしか無いって事です。
【無知の知】って、聞いた事ありませんか?
ソクラテスの言う、「自分は何も知らない事を知っている」って話です。
もし「知ってるよ」と、言えるのだとしたら、その人の成長はそこで止まってます。
福島の貧しい生まれから、細菌学に大きな功績を残した男、野口英世(千円札の人)の最後の言葉ってご存知ですか?
「私にはわからない(I don’t understand.)」だったそうです。
死因は、黄熱病の研究中に、自身が黄熱病を患った事によるものだそうです。
見る角度、文脈、情報によって、様々な解釈の出来る言葉ですが、少なくとも、歴史に名を残すようなスケールの男ですら、最期まで「わからない」って言うくらいですからね。
死ぬまで終わらないって事ですよ。
【仮説】止まってる人に向けて贈られたマインドセット
以下の通り、僕の行動様式は完璧主義者に該当します。
あらゆる場所に於いて、【完璧主義】って、有害扱いだな。
なんでそうなっちゃうのかって言うと、失敗したくないとか、バカにされたくないとか、自分を守りに入るから。
要するに自意識過剰だからなんだよな。
つまり、完璧主義者の行動は瑣末なプライドに起因してる。
はい、心当たりがあります。
— みきお@半年で100冊読書挑戦中 (@mikio_96) 2019年5月3日
こういう人間にとって、【量より質】って言葉には、行動を促す効果が宿りますよね。
「うるせぇ!いいからやれ!」と。そんな示唆があります。
完璧主義者とされる人ってのは、自分で自分の跳ぶべきハードルを上げ過ぎちゃうんですよ。
結果、跳べなくなる。
やる事が遅い人ってのは、これが一因になってる事も多いのではないでしょうか。
それが理由で、座右の銘が(本来の意味ではない方の)【適当】だった時期もありました。
つまり、【質より量】という言葉は、質より量を意識する事で得られる、マインドセットの方に有用性があるんですよね。
誰が言い出したのかは分かりませんが、止まったまま動けない人が、ベイビーステップ出来るように贈られた意図のある言葉なんじゃないかと僕は推測しています。
【量】を取るメリットはベイビーステップ偏重になれる点
「海賊王になる」っていう、馬鹿でかい目標を立てた、ルフィっていう男が居ます。
ONE PIECEという漫画の話です。
でも、ルフィはいきなり海賊王にはなれませんよね。
そこに至るまでに、小さな一歩を積み重ねている訳です。仲間集めも然り。
最初から質を取るってのは、フーシャ村(ルフィの故郷)でずーっと、海賊王になる為の準備を10年20年しているような事ですよね。
「いや、海に出ろよ」って話ですから。
ルフィは航海術なんて持っていなくても、漂流しながらゾロに出会い、ナミに出会う訳です。
仮にルフィが、フーシャ村で航海術を勉強しようとしてたら、90巻になってもフーシャ村に居たのかもしれません。
その点で言えば、ルフィの行動量が今のルフィに繋がっている訳です。
なんで量がいいかっていうと、高速で失敗できるからですよね。
インプットとアウトプット(フィードバック)を回しまくる事で、より速く、1パーセントの正解に到達する為です。
例えば、絵が上手くなりたいなら、先ずペンを持つ事から始まりますよね。
だから、最初の目標は【毎日ペンを持つ】事。これでいいんですよ。
これがベイビーステップです。
つまり、白黒ではなく、グラデーションで目標に向かうって事です。
自分がそうだったから解るんですが、止まってしまう人は、どっかに0か100かみたいな認識があると思うんですよ。
1年前に、こんな記事を残しましたけど↓
完璧主義者は、「これでいい」って言う選択肢が無い訳です。
だから100になるまで動けない。
1の傑作を生む為に、1000の駄作を作るような感覚で行きましょう。
【質よりも量】それより重要な前提は【ゴール設定】と【巨人の肩の上に立つ】事
質か量かの二項対立で、ものを見てると見失いがちですが、目指しているのは望んだ結果です。
そもそも、何の為の量なんですか?何の為の質なんですか?って話ですよね。
例えば、スポーツやってる人が反復練習をするのは、正しい動き、正しいフォームを体に刻み込む為ですよね。
筋トレをするのは、パフォーマンスを支える為の、強靭な根拠を作る為です。
ぶよぶよな、脂肪だらけの人が、他人よりも速く動いたり、物体からより効率的に反動を貰ったり、誰よりも力を物体に伝える事は出来ませんよね。
スポーツの大前提として、基本的な筋力が必要だから腹筋・背筋・腕立てをやる訳です。
これらの延長上にあるゴールは、勝つためです。
他人に勝つのか、過去の自分に勝つのか、どちらにしろ、1位は1人だけですよね。
人間が生きる時間は有限です。
現代は、寿命が伸びているとは言われてるけど、どうせ死にます。
結果に到達するまで、だらだら時間を掛けていられないのです。
その為には先ず、巨人の肩に立ちましょう。【型】を学ぶのです。
参照記事:パクリ?【Arctic Monkeys】より【The Mirraz】の方がカッコイイ理由
努力(量)は、勝つ為の前提に過ぎません。闇雲な根性論では勝てませんよ。
正しい努力が求められるのです。
知識は矢印を正しい方角へと導く
量を取れば質を取れるってのは、その積み重ねの方向が、正しい方向に向かってる事が前提になります。
ゴールが北にあるのに、南に向かって量を重ねていたら、到達してた筈の量が全て徒労に終わりますよね。
矢印の向きが違う。それだけで、同じ量でも、質を取れるか取れないかが変わってくるんですよ。
じゃあ、その矢印を自分の設定したゴールに向けるには、どうすればいいか?
答えは、【正しい知識を得る】です。
その点に於いて、読書が意味を持つのです。
もっと有効な方法は、結果を出してる人か、結果を出させる事に結果を出してる人に教えを請う事です。
何故なら、適切で客観的なフィードバックを得られるからです。
インプットとアウトプットを最大化させる事は課題の一つですが、その回転をより有効に回す為に、フィードバックは不可欠です。
つまり、【矢印】を意識しないと、量だの質だの言ってる意味ないよって事です。
その上で、量なんですよね。
富でも名声でも何でもいいんですが、圧倒的な結果に到達している人は、やはり作業量が異様に多いです。
正しい方向に向かって、誰よりも物数を尽くす。これが最強。
後は数の力で、以下のような恩恵を享受するだけ。
- 違いがわかるようになる
- デットラインの効果で発揮される火事場の馬鹿力
- データがたまる
- 止まらずに済む