速読の仕組みはパラパラ漫画で説明できる!?【残像】の観点から見る読書術

2020年2月5日読書レビュー

長時間露光による街の光と残像

おはようございます。

この前、たまたまEテレのミミクリーズっていう子供向けの番組を見ていたんですよ。

そしたら、ハスの葉に落ちる水滴を、ハイスピードカメラによる映像で捉えるっていう企画をやっていて、「なんて美しいんだ!」と、やや感動に至りました。mikioです。どうも。

ハスの葉って、ミクロで見ると表面がデコボコしてるから、水を弾くんですよね。

それをスローで見てると、弾かれた水滴が、玉っころの形状になった時に、キラキラしていて、まぁ綺麗。

ハスの葉じゃないと、水滴がベシャ…!ってなるんで、あんまり綺麗じゃないんですよ。

普段の、肉眼では捉えられない水の映像って、綺麗ですよね。はごろもフーズ(CM)のアレとか。

さて、今回はそんなスローモーションの話。ではなく、その逆。

クイックモーションの観点から眺める、読書術の話です。

この記事の結論

読書に於いて、一定の速度によって生じる残像が、書籍全体の流れを把握するのに重要な要素となる

フォトリーディングは不可能だが読書スピードを上げる事は可能

僕は以前から、読みたい本の数に対して、自分の読書スピードが釣り合わないっていうのが、不満というか、悩みでした。依然として、そのもどかしさを引きずっています。

スマホのアプリ内には、買ったけど、読めてない電子書籍ってのが、結構あるんですよね。所謂、積ん読状態。

で、思う訳です。「なんとか時間を掛けずに、本を読めないかなぁ」と。

1年くらい、もやもやして、右往左往して、至った結論としては、「んー…無理!」でした。

理由は以下の通り。

スパイの訓練で扱われていた、フォトリーディングっていう読書術があるけど、あれはサヴァン症候群みたいなもので、先天的に突出した脳の機能を持ってないと無理ですよ。

一冊10分で読了する!みたいな速読なんて、ハッキリ言って一般ピーポーには不可能です。

目線が、活字の上をツルツル滑るだけで終わります。

だから何?って事になります。スベったから何?

ただし、フォトリーディング的な速読は無理でも、今まで以上にペースを上げる速読なら、可能です。

例えば、100mを12秒で走ってた人が、11秒で走れるようになるくらいの進歩です。

1秒とは言え、100m走の世界で、1秒のタイム差って、結構な距離が開きますからね。

それを、100m2秒とか、3秒で走るってのは、現実的ではない。最早人間ではない。

その点、僕自身の話ですが、本を読む数が少なかった頃と比較すると、若干ですが、速くはなっています。

何故速くなったのか?

ポイントは、2つあると考えています。

  • 知識のインフラが整ってきた
  • 修辞的残像を優先させるようにした

これですね。

インフラ整備によって街が発展するように脳内回路も楽に速く

知識のインフラってのは、認識できる語彙の数と、認識できる概念の数の事です。

要するに、知ってる事の数です。

知識のインフラが整ってれば、その分、立ち止まる時間も少なくなりますよね。

何故なら、既知の情報へアクセスする為の脳内回路が、既に出来上がってるからです。

算数で言えば、四則演算の理解があるからこそ、因数分解に理解を進める事ができるのです。

例えば、或る街があるとします。

しかし、その街には電車が通っていない為、移動手段が限られます。

そこへ、新たに電車が開通される事になりました。

新駅の開発に伴って、その一帯では再開発が行われました。

利便性の向上により、その街で働く人も増え、消費活動も拡大していきました。

その結果、経済的にも豊かになりました。

これと同じ事が、脳内でも起こってるって事です。

情報の通り道が増えて、その数が拡大していけば、理解に至るまでのスピードは自ずと上がっていきますよね。

さて、知識のインフラ云々に関しては、以下の記事でも綴っているので、今回は修辞的残像の話をメインにしていきます。

参照記事:【学習速度が遅い原因とは?】理解スピードの遅い凡人がその理由を考察

外山滋比古の修辞的残像に必要なものは一定の速度

言葉は1つ1つ、残響、残像を持っている。

これは、外山滋比古(敬称略)の見解です。

修辞的残像ってのは、 外山滋比古が提唱している概念で、その文章を読む前に読んでいた文章、言葉の記憶が、残像として記憶に残ってる状態の事です。

要するに、余韻です。

この言葉の残像が、今読んでいる文章の理解を促してくれます。

そして、修辞的残像が機能する為には、一定の速度が要るんですよ。

この一定の速度という観点から、速読について考察してみます。

慣性の法則による等速直線運動

物理学に、慣性の法則ってのがあります。

静止している物体は、静止したままの状態を維持しようとする力が働くし、その逆に、動いている物体は、そのままの運動を維持しようとする力が働くってやつです。

この動いてるものが、動いたままでいようとする状態の事を、等速直線運動と言います。

修辞的残像は、この等速直線運動によって生じる、ブレを指しています。

スピードを出した車だったり、電車だったりが、ブレーキを掛けても完全に急停車できないのは、慣性の力が、そのまま維持されようとしてるからです。

言葉の羅列は修辞的残像によって点から線になる

例えば、白紙の上で、横一列に点を並べるとします。

これがもし、音だとしたら、尚且つ、ギターの和音だとしたら、音の点に、それぞれ余韻が残ります。

僕は、Eメジャーのコードが一番好きなので、此処ではEメジャーって事にしときます。

左手で抑えたEメジャーを、右手のピックで、ジャーン!と弾く。

これを、一定の間隔で弾き続ける。

そうすると、点と点の間隔に残響が重なります。

そして点と点は、線のようになって、繋がった輪郭を残します。

速読ってのは、その(修辞的残像)を感じるって事なんです。

バンドサウンドを聴いている時に、その点(コード)が何かって事を意識している人は、関係者以外、ほとんどいない筈です。

ラジオから、RADWIMPSの前前前世が流れてきたとしたら、メロディを、時系列で感じているだけですよね。

ジェットコースターに乗ってる時のように。

つまり速読は、音楽を聴く感覚に近しい。

アニメーションの実態は静止画の連続

さて、視点を変えてみます。

ノートの端に描かれた、パラパラ漫画を思い浮かべてほしいのですが。

重なったページを、流すようにめくっていくと、静止画と静止画の間に残像が宿り、絵が動き出しますよね。

一枚一枚の絵を連続的に投影する事で、運動として知覚されて、動画になる。

アニメーションの実態ってのは、静止画の連続でしかない訳です。

これは心理学用語では仮現運動って言って、動いてるように見えてるだけなんですよ。一種の錯覚です。

で、読書も、この原理なんですよね。

先ずは流してみる。動かしてみる。

その上で、「あ、この動き好きだな」とか、カッコイイなとか、可愛いなっていう、人間の感情が喚起される。

その為には、とりあえず一定の速度が要るんですよ。

ここで重要なのは、立ち止まらないって事。

この言い回し、単語の意味は?とか考えない。

当然、詰まったら、動きは止まってしまいますからね。

流れを感じる事にだけ、意識を傾倒させる。

つまり、このアニメーション的な読書の方法は、全体像を掴むのには有効です。

読む価値のある本だけを読む為に速読を手段とする

読書の目的は、内容の理解であり、延いては、情報を扱い、自身の行動に反映させる事です。

活字の上で、目線を素早く滑らせる事ではありません。

その点では、100冊の読書より、厳選された1冊の本を100回読む方が血肉になります。

つまり、速読は、理解する為ではなく、リサーチや、把握する段階で有効な読書術って事。

世の中の本の数って、膨大ですよね。

しかも、この瞬間にさえ、本は増え続けている。

一生かけても、全ての本を網羅する事なんて不可能です。

理想は、現時点の自分にとって、読む価値のある本だけを読みたい訳です。

本1冊で済むんなら、それ以上読む必要もありません。その分、他の事に時間を使えます。

以上の点から、現時点での速読の定義としては、【全体像を捉える為の読書】って事で、落ち着いています。

意味がわからなくても、止まらないで読む。重要なのは、全体の流れを感じる事。

従って、速読は、同じ本を2回以上読むって事を前提にしています。

いい本なら熟読対象になるし、ダメな本ならもう読まなければいい。

その判断の為の、選定段階で使う読書方法としての位置付けです。

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mikio
以上、mikioでした。ありがとうございました。
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